マニアックネタ
2000系気動車関係のちょっとマニアックなネタを集めてみました(^^;
〜TSE関連〜 |
〜量産車関連〜 |
〜N2000系関連〜 |
〜全 般〜 |
試作車TSEの「顔」の変化
(これは基本(^^; ) (1)連結器 1989年登場の試作車TSEは、当初は従来型気動車と同じタイプの密着自動連結器を装備していたが、1990年夏以降に量産車が登場したのに合わせて、一時富士重工宇都宮製作所へ里帰りし、電気連結器を併用した密着連結器に交換されている。 また、下り方先頭の2001形は当初は大きな連結器カバーを装備していたが、この改造に合わせて取り外されている なお、この連結器の交換(電気連結器の増設)に伴って、スカート(排障器)の開口部がわずかに拡大されている。 (2)貫通扉 試作車TSEの貫通型制御車である2101形は、当初は通常の貫通扉の外側に、両開式のプラグドアを貫通扉として装備し、ここに「南風」「しまんと」のヘッドマークを掲げていた。 92年7月改正移行は単独で運用されることが多くなったため、この貫通扉も1枚扉に改造され、さらに後年、締切扱いとされた。締切扱いに改造された時期については不明であるが、少なくとも96年までは編成の中間に連結されて使用されていたところを目撃したことがあることから、それ以降と思われる。 (3)2001形のワイパー 非貫通型の2001形は、登場当初は運転席側のみにワイパーを装備していたが、量産化改造時に運転助士席側にもワイパーが追加されている。 (4)各種ステッカー 2000系TSEは1990年の鉄道友の会ローレル賞を受賞した。それにちなんで、赤地に金文字のローレル賞受賞記念ステッカーが、90年に貼付された。このステッカーは少なくとも98年元日までのかなり長い期間貼られたままにされ、98年5月1日には既に剥がされているのが確認されていることから、98年1〜4月頃に剥がされたモノと思われる。 そのあとは、98年12月25日からは、同日付けで3ヶ月ぶりに集中豪雨被害から復旧した記念ステッカーが貼付され、しばらくの間貼られたままであったが、2000年いっぱいで全て剥がされ、元のシンプルな顔に戻っている。 デザインについては途中一度、若干の変更が加えられていた。 2000系TSE「南風52号」 土讃線 讃岐財田駅 (89年5月2日) 89年3月改正時から90年夏まではこの顔 2000系TSE「しまんと10号」 土讃線 坪尻駅 (97年6月8日) 90年の秋から、97年末〜98年春までの間はローレル賞のステッカーを貼付 2000系TSE「しまんと1号(左)」「しまんと11号(右)」 予讃線 国分駅(左)/土讃線 大杉駅(右) 98年12月24日(左)/98年9月15日(右) 98年晩春ぐらいから同年12月24日までの間はこのようなシンプルな顔だった 2000系TSE「うずしお12号」 高徳線 オレンジタウン〜造田間 (99年3月14日) 98年12月25日から2000年いっぱいまではこうなっていた TSE2000形「ミッドナイトEXP高松」 予讃線 高松駅 (2002年3月23日) 現在はステッカー類は全て剥がされ、再び何も飾り のないシンプルですっきりとした顔になっている |
TSEの密かな誇り
1989年に登場した2000系は、1990年の鉄道友の会ローレル賞と、日本機械学会賞、通産省グッドデザイン賞、それに東記念賞と、4つの賞を受賞している。 このうち、ローレル賞のステッカーについては、かつてTSEの前面に貼られていたことがあるので、ご存じの方も多かろうが、2001形と2101形の運転台側の客室扉の上、LED案内表示器の左右に、ローレル賞受賞記念プレートと、日本機械学会賞受賞のステッカーが付いているのに気付いている人がはたしてどの程度いるだろうか? これは他の量産車には取り付けられておらず、TSEの密かな誇りとなっている、、、、のか?(^^; |
TSEの製造銘板
2000系TSEは1989年、つまり平成元年の製造である。 従って、本来なら車体妻面の製造銘板は「平成元年」を記載するべきところが、「平成1年」となっているのはあまり知られていない。 蛇足だが、この銘板に記載されている「四国旅客鉄道」の「鉄」の文字が、正式社名である「金失」ではなく、「金矢」になっている。 四国以外のJR各社は「金矢」を採用しているため、メーカー側が四国も同じと勘違いしたのではないかと想像される。 |
TSEの方向転換
(意外と知られていない) 試作車TSEは、2001形が下り方を向くのが基本であるが、量産車登場後の90年11月改正から92年7月改正までの間、2001形が上り方を向くように方向転換され、予讃線の「しおかぜ3・4・13・14号」の付属編成(5〜7号車)として使用されていた。 つまりこの時期、編成の前後両方が非貫通型先頭車となる「しおかぜ」が存在していたと言うことである。 92年7月23日ダイヤ改正での2000系量産車の増備によってTSEは土讃線特急に転用され、再度2001形が下りを向くように方向転換されて、現在に至っている。 |
TSEの普通列車運用
2000年のGWに、車両運用の都合により、琴平7:34発の高松行普通列車1234Mが多度津始発で運転されることになり、琴平〜多度津間のピンチヒッターとしてなんとTSEが使用された。 琴平発7:34→多度津着7:47の各駅停車として運転され、もちろん全車自由席であった。なお、多度津では岡山行の特急「しおかぜ」にも接続していた。 たまたまGWに大阪まで出かける用事があり、せっかくだからということで乗ってみたのだが、時間があまりなくて細かいところまで撮ってなかったのが実に悔やまれる・・・ |
カーペットの無い2000形
2000系のグリーン車、2000形のグリーン室の床はカーペット敷きが本来の姿だが、この床が8000形と同じフローリング加工となっている車両が存在する。 2003年9月20日現在で、松山運転所在籍の2006形等がこのタイプになっている。 この2006形はオリジナルの通常塗装+ドア更新車なので、アンパンマン塗装化関連では無さそうだし、同じドア更新車でも高知運転所在籍の2003形はカーペット敷きのままなので、フローリング化の基準がいまいち不明である。 |
2000形の電気連結器
(ちょっと気付きにくいかも) 下り方先頭車となる非貫通型の2000形は、当初は電気連結器(通常の連結器の下に装備される、電気系統のケーブルなどを一括して繋ぐことの出来る連結器)を装備していたが、1995年から96年にかけて取り外されている。これは恐らく非貫通型の先頭車であることから編成の中間に連結される機会がまず無いためであると思われる。 但し、対象となっているのは2001〜2011のJR在籍車だけで、土佐くろしお鉄道保有の2030形については、現在(2019年10月現在)も電気連結器を装備している。 取り外された時期については詳細は不明だが、今まで私が撮ってきた2000系の写真を調べてみると、94年から97年にかけて順次取り外されていった模様が明らかになっている。 下写真は、高知運転所所属の2010形の写真である。 当初左のように装備されていた電気連結器は、現在は右のように取り外されている。
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2000形グリーン室の荷棚
「型録(室内)」にも書いてあるが、2000形グリーン室の荷棚は、登場当初は航空機のようなクローズドタイプだったが、現在は一般的なタイプに改造されている。 これは、1999年11月1日に、予讃線でこの荷棚の蓋の金具が壊れて、乗客の頭上に落下する事故があったため、事故の再発を防ぐために撤去されモノらしい。 シートの色が違うように見えるのは、現像並びに光線状態の関係。 |
量産車の正面形式表記
量産車の先頭車は、正面向かって左上に形式表記がシールで貼付されているが、これが登場時とは異なるフォントや配置になっている車両が多い。 オリジナルのフォントの文字シールの在庫が無かったのか、あるいは他に理由があるのかは不明であるが、フォント自体が異なっているパターン以外に、同じフォントでも文字間隔が異なっていたり、異なるフォントが混ざっていたり、また貼付位置が変わっていたりと、かなりのバリエーションが確認されている。 また、一時的に異なるタイプになっていたのが元に戻っているケースも確認されており(2119形)、正直言ってその全てを把握するのは困難な状況となっている。 2000形については2030形を除いて全車が貼付位置自体が変わっているほか、2100形はフォントの変更が目立つ。 概ね、松山配置車と高知配置車は変形フォントが多く、オリジナルで残存しているのは高松配置車が多い傾向が見受けられる。 <2000形>
2000形は全車両がオリジナルから何らかの変更が加えられている また、形式標記部分の周囲に「枠」が追加されているが、変更時期は各車それぞれ異なる
<2100/2150形> 2100/2150形については、変更されている車両は全車両が松山&高知運転所在籍時代に変更されている
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N2000系の形式表記
N2000系は1995年に先行車2両が、1997年から量産車が登場しているが、この両者は実は、車体妻面に記載されている形式名が異なっている。 ご覧のように、先行車の方は「N2150」表記となっているが、量産車では「2450」となっており、前者は過渡期における特殊な措置であったと思われる。 2424形も、同様に「形式 N2100」となっている。 |
内外装更新車両
(1)窓枠ボルト止めプレート支持の2000系 2000系気動車の側面窓は基本的にゴム支持による連続窓となっており、そのフラットな美しい側窓が特徴の一つであるが、この側窓支持部分がゴム支持ではなく、ボルト止めによるプレート支持方式となる車両も存在する。 これまでの観察では、プレート支持の車両はほぼ例外なく座席モケットの交換が行われておらず、モケット交換と同時にゴム支持化したのかとも思える。 しかし2000系は、TSEも量産車もゴム支持として登場しているはずで、つまり登場後しばらくしてからプレート支持に変更され、さらにその後座席モケット交換時に元のゴム支持に戻されたのではないかと推察しているのだが、当てはまらない車両も存在し、真相は不明である(^^; ちなみに、松山&高知所の車両にプレート支持車が多く、高松所の所属車はほとんどゴム支持であったが、2007年から量産車については高松車もプレート化が進んでおり、オリジナルのゴム支持で残っている量産車は希少になってしまった。 2007年12月23日時点で、TSEは全車両ゴム支持となっているが、N2000系についてはプレート支持に変更されている車両(2460形など)が出現している。
この角度から見ると、ゴム支持とプレート支持の差がよく判る 手前から1/2/4両目がプレート支持、3両目がゴム支持車 予讃線 宇和島駅(しおかぜ22号) 2003年9月17日 (2)ドア更新車 2000系気動車も登場してから既に10年が過ぎ、初期の車両はそれなりに老朽化も進んでいる。 その為かどうか、2001年年明け頃から2000系量産車の中に、出入口ドアを更新した車両が出現している。 ドア更新車は、ドアの窓の大きさが従来の半分程度に小さくなっているので、一目で識別可能である。 当初は高松・高知運転所在籍車のみだったが、2002年になってから松山運転所在籍車にもドア更新車が登場した。 なお、取り替えにあたっては車両単位で取り替えるのではなく、ドア単位で取り替えている模様で、現在確認できている限りは、同じ車両の前後でドアが異なる車両も存在していた。 ただこの更新改造は、別に老朽化ばかりが理由ではないようで、2002年末当時、高松運転所のN2000系中間車2520形の上り方ドアも更新されているのを確認している。その後、この車両は2003年9月27日には前後とも更新済みとなっているのを確認した。 当時高松所配置の2154形と同じく当時高知所配置の2010形は、小窓化された後また大窓に戻され、その後再び小窓に更新されている。 通常塗装の量産車で最後まで大窓で残っていた2123形も、2008年4月6日時点で小窓化されているのが確認され、これで通常塗装量産車の大窓車は消滅した。 なお、量産車の中で大窓のまま残っていたのは、土佐くろしお鉄道保有の2231形であった。 ドア更新によるドア窓の小型化はN2000系にまで及び、現時点(2008年6月6日)で2460形、2520形、2521形、2522形などが確認されている。 3両の先行試作車(TSE)については、全車大窓のままとなっている。
2021年8月27日現在の確認済みドア更新状況
前後で窓サイズが異なるパターンの例
なお、左右でサイズが異なるパターンも見た記憶があるのだが、手持ち画像でそれと確認できる物はなく(そもそも記録するの自体が難しいが)、今となっては本当に存在したかどうか不明である。 (3)シートモケット更新車
2000系は、TSE/量産車/N2000系とそれぞれが、登場時の普通車のシートモケットが異なっている。 TSEはパステルカラー、量産車は藍色をベースにしたツートン、N2000系が青系のプリント柄になっている(画像は「型録(室内)」を参照)。 TSEと量産車はについてはこの普通車のシートモケットの更新工事が進んでおり、N2000系と同じタイプのモノに交換されている。 (4)カーテン更新車
2000系は、標準状態ではN2000系のみがプリーツカーテンを装備しているが、量産車の中にもプリーツカーテンに取り替えられている車両が登場しているのが確認されている。 恐らく、シートモケットと同様に、標準状態の物と同じ柄・仕様の物が生産中止等になったためであると思われる。 更新の進捗度はかなり早いようで、2005年10月1日時点で、シートモケット更新車よりもカーテン更新車の方が多くなっているのではないかと思えるほどの状況である。 ただ、高松・高知車はかなりの高率で更新済みだが、松山車はほとんど未更新で、所属基地によって差があるようだ。 (5)喫煙室設置→多目的室化
2007年度より、一部の2100形に喫煙室を設置する改造が始まっている。 2008年3月改正では四国内の全ての特急が禁煙車になり、喫煙室が設置されることになったため、それに合わせて改造施工された。 2008年6月6日時点で、2103/2105/2106/2115/2116の5両が改造施工されているのを確認済み。 2009年3月改正までの間に、さらに高知運転所の2100形全車(8両)、高松運転所のN2450形全車(6両)、松山運転所のアンパンマン仕様の2100形全車(4両)に設置されているのを確認。 これで、2000系で運用されるほとんどの特急列車に喫煙ルームが設置されることになった。 2011年3月11日改正では、喫煙ルームが全て廃止されたため、元の喫煙室は多目的室に改装された。 (6)木目調リニューアル車
2000系もかなり車齢を重ねてきていることから、2012年頃よりシートモケットの更新のみならず、化粧板や洗面所などについてもリニューアルされた車両が登場している。 シートモケットが普通車は明るいライムグリーン系に、グリーン席は紺の柄模様に、またカーテンはプリーツタイプに、廊下と化粧板が木目調に、室内の窓枠がブラック基調に、室内天井の照明灯の間も木目をイメージしたダークブラウンにと、かなりイメージが変わり、洗面所も同様な感じで一新されている(詳細画像は「型録(室内)」の項に掲載)。 なお、トイレの中までは更新されておらず、従来の和式トイレのままとなっている模様。 2000系のこれら更新改造の確認状況は以下のようになっている。 2021年8月27日現在の確認済み更新状況
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車内電話用アンテナ
2000系は新製時の状態では、TSE2201形、2000形量産車(2002〜2011/2030)、N2450形(2459〜2463)の17両に、後位側デッキに車内電話が搭載されていた。 車内電話は携帯電話の普及に伴って2000年頃に全て撤去されたが、屋根上にのアンテナについては原則としてそのままとなっている。 しかし、その中でもTSE2201形など、アンテナを撤去してしまった車両が相当数存在している。 2018年9月現在、2201形と、2002/2004/2005/2030形の合わせて5両が、アンテナを撤去しているのが確認されている。 N2450形については、撤去車両は確認されていない。 当方撮影画像による調査では、各車両の撤去時期については以下のように推定される。 ・2002形=2008年12月〜2010年3月 ・2004形=2011年〜2016年11月 ・2005形=2004年4月〜12月 ・2030形=2003年4月〜8月 ・2201形=2008年4月〜2017年2月 再び車内電話が設置されるとも考えにくいことから、今後も撤去車両が増えるものと思われる。 |
ヘッドライト(前照灯)
普通なら誰も気にとめないヘッドライト。全車両が富士重工宇都宮製作所で製作されているはずのJR2000系のオリジナルのヘッドライトは、トヨタの系列会社である小糸製のシールドビームが使用されている。 ヘッドライトのガラスレンズ部にも「Koito」の文字がはっきり刻まれている。 2000系のヘッドライトは、TSEの2灯に対して量産車では4灯に増設されている。 一般的にはロービームとハイビームに分けたと解釈されがちだが、事実はそうではない。 これは、TSEの営業運転開始後に乗務員から、「(特にカーブで)速く走るので遠くを見たいが、光軸がずれるのでカーブの外側を照らして欲しい」という要望が出たことから、外向きのライトを増設したものである。 (出典:「振子気動車に懸けた男たち」 101項) 実際に、2000系量産車のヘッドライトをよく見ると、内側の2灯は外向きの角度が付いているのがよく判る。 |
排気管の配置と長さと色
2000系の排気管は配置や長さなどにいくつかのバリエーションがある。
妻面排気管は、通常の角度で撮影しても長さの違いはっきりと判る。 ↓先頭が排気管の短い2105形、2両目は車番不明だが延長タイプの2100形。 ↓カラーリングだけでなく、排気管が量産車に比べてひときわ長くてよく目立つN2000量産車。 ↓2両連結の試運転列車で比較した、排気管の長さ
〜排気管の色〜 排気管本体は現在は黒塗装が標準であるが、量産車・N2000量産車とも、本来はグレーあるいは無塗装ステンレスシルバーが基本仕様であった。 ↓1992年元日に撮影した特急「しまんと」 2両目と3両目が、前年の秋に新製投入されたばかりの新車の2150形(第2次量産車)で、後位排気管がシルバーとなっているのがよく判る。 ↓1998年5月に撮影した、新製投入間もないN2000量産車の連結面。 やはり排気管は無塗装シルバーとなっている。 いつから黒塗装が標準仕様となるよう変更されたのかは、不明である。 恐らくは、どのみち排気ガスで真っ黒になるので最初から黒くしておこうということになったのではないかと想像され、当方所蔵画像で一番最初に明確に黒塗装としているのが確認されるのは、1999年8月17日に全検出場した2030形である↓。 この黒塗装化は全車同時ではなく全般検査等の際に順次施工されたと思われ、上記2030形以降に当方で確認される全般検査出場車については全て黒塗りとなっている。 逆に、黒く汚れてはいるものの無塗装シルバーであろうと思われる車両は2003年までは残存していた模様であり、全車の黒塗装化が完了した明確な時期は不明。 |