土讃本線 阿波池田駅 1985年10月16日 オリジナルのキハ65−44の客室。 当初から扇風機は設置されておらず、広いシートピッチとユニットサッシとも相まって、キハ58系より1クラス上の雰囲気を醸し出していた。 |
牟岐線 牟岐駅 1987年4月8日 なお、最後部のボックスシートの内の壁側は、若干幅が狭くなっていただけでなく、窓側の肘掛けと手すりも省略されていた。 |
予讃線 高松駅 2005年6月25日 バケットシートに交換された、晩年のキハ65−26の客室。 |
予讃線 高松駅 2000年2月2日 キハ65−34の晩年の客室。 |
土讃本線 阿波池田駅 1985年10月16日 車内のナンバー表記はシールであった。 | |
予讃線 内子駅 2008年4月26日 キハ65−69の運転台。 人間工学が取り入れられ、キハ58系などの在来車種から多くの改良点がある。 |
予讃線 内子駅 2008年4月26日 キハ65−69の運転助士席側。 正面に丸いハンドブレーキのハンドルが見える。 床自体は低いが、着席時はハンドブレーキ前のステップを手前に下ろして使用する。 |
予讃線 内子駅 2008年4月26日 ギラリと光る車輪ディスクブレーキが、本形式の特徴でもあった。 台車は後年ペデスタル式に改造された車両もあるが、JR四国在籍車は全車が最後まで未改造でオリジナルの美しいスタイルを保っていた。 |
キハ65−38 予讃本線 多度津駅 1985年3月13日 |
キハ65−50 予讃本線 多度津駅 1982年11月 |
キハ65−32(?) 予讃本線 高松駅 1986年8月1日 |
キハ58系とは処理の異なる、キハ65形のタブレットキャッチャーとその保護板。 公式側は乗務員室窓の直下にキャッチャーがあり、その位置関係から出入口ドアの前位側の部分にだけガラス破損防止の鉄板が取り付けられていた。 非公式側は乗務員室ドアの前に車体から大きく張り出す形でキャッチャーが取り付けられ、客室ドアとの間のスペースに保護用の鉄板が設置されていた。 四国においては1986年11月1日ダイヤ改正をもって優等列車運転区間からはタブレット閉塞は姿を消したため、同改正以後にキャッチャー及び保護板の撤去が進み、JRへ移行する頃には全て撤去完了していた模様である。 |
1963年からキハ58系の冷房改造が始まり、その流れの中で勾配線区における冷房編成の性能改善を目的として、本形式が新たに開発・製造された。 従って、本形式は新製当初から冷房電源用の発電ユニットを搭載して、他車へその電源を供給・制御するためのジャンパ栓も備えていた。 ところが、当初は冷房電源供給用ジャンパ栓を納める位置が低かった(正面右下タイホンの横)ことから、特に曲線走行時に支障が出たため、もう少し高い位置(正面右標識灯の横)に変更する改修工事が行われた。 それまでに冷房改造されていたキハ58系のほか、本形式も一部が改修対象となり、各地の工場で施工された。 ところが、どういう事情かこの改修工事が存置または放置された車両がごく一部に散見され、当方所蔵画像でも少なくともトップナンバーのキハ65形1号車が、1985年3月時点でも低い位置のままであることが確認できる。 同様な事象はキハ58系でも見受けられる。 「鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション」にハ65形の新車情報記事が載っており、そこに掲載された落成直後のキハ65−1の画像を見ると、冷房電源ジャンパ栓納めはタイホーンの隣に設置されており、晩年のこの姿も一応「改修済み」であったと思われる。 なお当形式に関しては、冷房電源供給用ジャンパ栓納めは、第2次車からは最初から標識灯横の高い位置に取付位置が変更されている。 それに伴い、正面右裾部タイホン下にあるジャンパ栓納めの位置も変更となり、間隔が広くなっている。 1969年度2次債務で製造された第3次車以降(14号車および508号車以降)がこのパターンとなっており、それ以前の車両と容易に区別することが出来る。 当形式は製造年次による外観の差異が少ない車両であるが、少なくともここを見れば最初期の車両とそれ以外とを見分けることが出来る。 |
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高徳線 徳島駅 1987年4月8日 急行「よしの川」のキハ65−76。 冷房電源用ジャンパ栓納めは、当初から後部標識灯と同じ高さとなる。 |
予讃本線 多度津駅 1985年3月13日 急行「うわじま」先頭のキハ65−1。 冷房電源用ジャンパ栓納めの位置が若干低いのが判る。 また、その下のジャンパ栓納めの間隔も、←左の50号車よりも狭い。 |
土讃本線 讃岐財田駅 1985年3月14日 |
四国配置のキハ65形の中で、ごく少数ながら前位側排気管が延長改造された車両が存在する。 当方手持ち画像においては、1999年2月に初めてその存在が確認され、少なくとも26号車と27号車の2両が該当する。 |
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通常排気管の41号車 予讃線 八十場駅 2005年1月2日 |
延長されている26号車 予讃線 丸亀〜讃岐塩屋間 2005年9月18日 |
同じく27号車 讃岐塩屋〜多度津間 2005年5月2日 |
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国鉄時代の26号車 予讃本線 多度津駅 1986年3月24日 |
同じく27号車 土讃本線 讃岐財田駅 1985年3月 |
両車が繋がっているとその差がよく判る 土讃線 塩入〜黒川間 2005年9月4日 |
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延長車両の排気管の様子 予讃線 松山駅 2006年10月22日 | |||||
施工理由は不明であるが、施工車と未施工車と比較した場合、第1位側(前位側正面向かって左側)の前照灯付近の煤汚れの違いが際立っており、これは前照灯の煤煙汚れ対策のためではないかと思われる。 従って、以下は小生の想像であるが・・・ 国鉄時代から1990年頃までは、四国ではキハ65形は編成中間に入ることが多く、前照灯付近は左右とも同じぐらい汚れていたが、1990年頃(特に1986年11月改正)以降は編成先頭(および最後尾)になる機会が増え、それは1990年の予讃・土讃線急行列車運用全廃以降、さらに顕著となった。 その頃から、左右前照灯の煤汚れの違いが目立つようになってきたことから、試験的に2両について延長施工してみたところ効果が確認されたものの、既にアスベスト問題などで同形式の置き換えが視野に入っていたことから、他車への波及が無く2両のみの施工で終わってしまった。 ということであろうか? |
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施工車と非施工車の汚れ具合の比較。 違いは明瞭である。 |
1969年から1972年まで製造されたキハ65形は、製造年次による外観の変化がほとんど無くまとまったスタイルをしており、見た目で製造年代を特定するのが難しい。 上記の前面ジャンパ栓納めの他には、本項のウィンドウウォッシャノズルの2点のみが、これまでに判明している外観上の識別点である。 0番台車は1970年度1次債務で製造された第5次車である64号車から、500番台車は1970年度2次債務で製造された第6次車の514号車から、取り付けられている。 このノズルについては非常に判りがたく、遠目には判別が難しいが、正面向かって運転席側窓の左上隅と、運転助手席側窓の右下隅のあたりに1つづつ設置されている。 |
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高徳線 徳島駅 1987年4月8日 キハ65−76の例。 |
予讃線 高松駅 2003年10月5日 キハ65−69の例。 |
予讃線 高松駅 2007年12月22日 比較用に、ウォッシャノズルの無いキハ65−27の例。 |
形式 | 車体 | (国鉄色) | (JR四国色) |
24号車 28号車 |
69号車 |
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2枚折戸にユニットサッシ、分散クーラーと、同時期に登場した12系客車と類似した外観。 | |||
屋根上 | |||
屋根上デザインも12系と似ており、ベンチレータの無いすっきりした機器配置となっている。 先頭部右側の乗務員ドアと客室ドアの間に駆動エンジンの排気管、後部左側車端に発電用エンジンの排気管があり、当然ながら太さも異なる。 |
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寸法 | L | 21,300 mm | |
W | 2,903 mm | ||
H | 4,085 mm | ||
重量 | 42.9 t | ||
車体 | 普通鋼 | ||
機関形式 出力 |
DML30HSE 500PS/1,600rpm |
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変速機 |
DW4F (変速1段・直結1段手動変速) |
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最終減速比 | 2.994 | ||
ブレーキ方式 |
機関ブレーキ付 DARE1 |
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ブレーキ装置 | 車輪ディスク | ||
台車形式 |
DT39 TR218 |
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許容最高速度 | 95km/h | ||
車体構造・客室 | 2扉クロスシート | ||
乗車定員 | 84 |