JR四国の駅名標


※本項記載事項は、基本的に2019年末時点の物です※


 JR四国の駅名標には、フォントや設置方法などにいくつかのバリエーションがあるが、本項ではまず文字フォントなどの表示様式等の変化について時系列順に整理・考察し、それから色々な設置形態について触れてみることにする。

 なお、以下で述べる事項は基本的に事実に基づいた独自研究である点お断りしておく。




<サイズと設置時期>
↓駅名標交換を伝える新聞記事

(1991年10月28日付 日経新聞より)


 JR四国が従来の国鉄スタイルの駅名標から、自社独自規格の新しい駅名標への交換を正式に公表したのは1991年10月である。


 取り替え対象となった駅名標の数は、電照式が38駅97標、建植式が253駅358標で、翌11月から3年間で1億2千万円かけて取り替える計画であった(計画通り完了したのかは公表されてないので不明)。
 サイズは縦73cm×横133cmで、メンテナンス性を考慮して材質はステンレス(建植式の場合)とされた。

 表記についても、自駅名は国鉄スタイルのひらがな表記から、漢字表記+ふりがな表記に改められた。


 この記事に記載されている「建植式」とはごく一般的な、いわゆる地上から「生えて」いるタイプの物であり、本項でもこの語を使用することとする。




<駅名丸ゴシック体+縦長矢印> 〜初代様式〜
↓最初期の縦長矢印表記の駅名標
自駅ふりがなが明朝体になる例
↓自駅ふりがな丸ゴシック体の例


↓自駅名ふりがなの明朝体と丸ゴシック体の比較例
確かに丸ゴシックの方が見やすい

↓2019年時点で残存している最最初期の様式例


↓旧国名部分は小文字が基本
ふりがなは讃岐財田が明朝、阿波福井は丸ゴシック

↓何故か旧国名が大文字になっていた珍しい例
(現存せず)

↓例外的にひらがなの方が大きく表記されていた後免駅
(現在は角ゴシック体の物に更新済み)

↓カタカナ駅名の場合はふりがなが付かない


 左欄に、1991年から設置された初代の様式を例示。


 文字フォントは基本的に全て丸ゴシック体であるが、最下部の所属自治体名は明朝体表記であった。
 左上には小さくJRマークが付く。

 自駅名は大きく漢字表記+小さくふりがな、隣駅はひらがな表記で、いずれもヘボン式によるローマ字表記を併記。



 自駅名のふりがなについては、丸ゴシック体の物とそれよりやや文字の小さい明朝体の物が存在する。

 明朝体のふりがなは、高松〜多度津〜高知間の駅でのみ確認され、上記<サイズと設置時期>で示した一番最初に駅名標の交換が行われた区間に該当することから、当初は明朝体であったものの、見やすさなどを考慮してかなり早い時期に丸ゴシック体のやや大きな文字に変更したものと思われる(上記の新聞記事の坂出駅の駅名標の画像でもふりがなは明朝体になっているように見える)。


 正直、この違いをもって初代と2代目とで分けるかどうか迷ったが、最初期のふりがな明朝体の物は(上記の)一番最初に建て替えて進められた高松〜窪川間の駅でしか見ることが出来ず、それ以降は全てふりがなゴシック体となっていることから、同世代のバージョン違いと判断した。
 あるいは、最初期のふりがな明朝体の物は「プロトタイプ」としても良いかもしれない。


 閑話休題。


 隣接駅の向きを示す矢印は、当初は三角形と長方形を組み合わせた縦長矢印表記になっていた。
 分岐駅等で隣接駅が複数ある場合も、矢印は1つだけだった。

 なお、隣接駅が複数の場合はそれに対応してスカイブルーの帯の部分も幅が広げられている。

 自駅名の旧国名の部分は基本的に小さく表記され、その部分のふりがなもそれに合わせてさらに小さくなっているが、どういう訳か阿波大宮駅については旧国名も大文字であった(現在は角ゴシック体の物に更新されていて存在しない)。



 後免駅については通常とは逆にひらがな表記の方が大文字で漢字が小文字になっていた(これも現在は角ゴシック体の物に更新されているが、ひらがなを大きく表記している点は変わらない)。
 この場合、ひらがなと漢字の位置関係は変わっておらず、ひらがなが上、漢字が下になっている。

 1998年3月改正で誕生したオレンジタウン駅も開業当初の駅名標はこのパターンであったが、カタカナ駅名のため自駅名のふりがな表記が省略されている。


 2019年時点では、最初期の丸ゴシック体+縦長矢印+自駅ふりがな明朝体の一番最初の様式の駅名標は、多度津・善通寺・須崎駅の電照吊り下げ式と、新改駅の建植式の4例のみが残存しているのが確認されている。

↓所属自治体名のみが角ゴシック体となる例


 この他、丸ゴシック体フォントの駅名標の中で特異な例としては、所属自治体名称の部分だけが後貼りシールによって角ゴシック体に変わっている駅がある(八栗口駅・讃岐牟礼駅・三加茂駅等)。

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<駅名丸ゴシック体+棒矢印> 〜2代目(?)様式〜
↓棒矢印タイプ


 その後2005年頃に、基本デザインはそのままで隣接駅の向きを示す矢印が棒矢印タイプのものが出現。
 これを仮に2代目様式とする。


 2代目様式への交換は全駅に波及したわけではなく、縦長矢印タイプが老朽化等で劣化した場合のみ、(駅単位ではなく)駅名標ごとに個別に更新していた模様である(駅名標が1つしかない駅では結果的に駅単位になるが)。


 登場後すぐに駅ナンバリング制度が導入されたため、当方所蔵画像ではナンバリングの無い完全なオリジナルの物の画像は丹生駅と半家駅ぐらいしかないが、赤星駅、伊予土居駅、伊予小松駅、大西駅、枝川駅、川田駅、阿波川島駅、西麻植駅、貞光駅等で、ナンバリングシールの脱落等によって明瞭な棒矢印表記が確認できる。

 どの程度の数が更新されたのかは不明であるが、次項の「駅ナンバリング」の項でも述べるように、実際にはこの棒矢印タイプに交換されていた駅名標は相当数あった模様である。
 特に高知県と南予地区に多く見られ、日照が強く降水量の多い地域であることから劣化の進行が速かったのであろうと推測される。



 なお、当方で確認できる範囲では、電照吊り下げタイプで棒矢印になっている駅名標は存在しない。
 想像であるが、電照吊り下げ式は一般に屋根の下に設置されることから、常に雨ざらしとなる建植式に比べて劣化の度合いが少ないために、タイミング的に更新対象にならなかったのであろう。

 事実、電照吊り下げ式の駅名標は2019年現在でも、最初期の丸ゴシック体のものを継続使用している例が、特に気候の温暖な瀬戸内海側に非常に多く見られる。




<駅ナンバリング>
↓縦長矢印の上からナンバリングシールを貼付した例

↓棒矢印の上からナンバリングシールを貼付した例
(2018〜19年時点で現存する物を例示)

↓自駅のナンバリングシール貼付位置の特殊な例
(現存せず)

↓観光目的以外でシールが貼られていないと思われる例
(2018〜19年時点で現存する物を例示)

↓電照式の場合、夜になるとシールの下に隠れた
矢印がくっきりと浮かび上がることも・・・
善通寺はふりがな明朝体の最初期の物であることが判る


 JR四国では2006年に駅ナンバリング制度を導入したが、導入当時の駅名標は、上記の1991年に制定された初代様式のもの(隣接駅表示が縦長矢印の物)か、または2005年頃に出現した隣接駅表示が棒矢印になるタイプのどちらかが、各駅に設置されていた。


 当初は暫定的に後貼りのナンバリングシールを既存の駅名標に貼付したが、このときにスペースの関係で隣接駅の矢印部分の上に貼付したことから、矢印が見えない、または一部しか見えない状態となった。

 縦長矢印の場合は完全にシールの下に隠れ、棒矢印の場合は矢印の先端部分以外が隠れて、あたかも三角形の矢印のように見える。
 現在、丸ゴシック体で残存している駅名標も、ほほ全てがこのどちらかのパターンとなっている。


 珍しい例としては、栗林公園北口駅の丸ゴシック体時代の駅名標は、上半分の白地の部分に自駅のナンバリングシールを貼る場所が無いために、スカイブルーの帯の部分にシールを貼付していた(現在は角ゴシック体の物に更新済み)。


 駅ナンバリングシールは、自駅分のみ貼付して隣駅の分を貼付しない例も散見されたが、2019年現在は撫養駅等ごく少数を除いて現存しない。
 また、シールは経年によって剥がれることも多いのか、一部が剥がれたままになっている物や、駅名標自体は古びているのにシールだけがやたら新しい物等が散見される。

↓貼付位置がずれている例(いずれも現存しない)
(貞光駅2番ホーム側)
(貞光駅1番ホーム側)

↓シールが剥がれて下の矢印が見えている例



 上記の内、棒矢印の駅名標にナンバリングシールを貼付したものについては、いくつかの例外パターンが見られる。
 貼付位置がずれているパターンが多いが、2008年当時の貞光駅2番ホーム側のような「寄り目」パターンはかなり珍しく、少なくとも手持ち画像ではこの一例しかない。


 また、シールが剥がれて下の矢印が完全に見えてしまっていることも希に見受けられる。
↓ナンバリング対象外の臨時駅の例
(以前の駅名標)
(現在の駅名標)
(以前の駅名標)
(現在の駅名標)

↓記念撮影用にナンバリングが省略された例


 なお、津島ノ宮駅や田井ノ浜駅といった駅ナンバリングの対象外となっている臨時駅の他、安和駅や下灘駅など、ごく一部の駅には観光向けの記念撮影用にナンバリング表記の無いものが場所を限定して継続使用されているケースもある。


 ちなみに、臨時駅の2駅については現在は次項に述べる角ゴシック体の物に更新されていて隣接駅のナンバリングが表示されているが、更新前まで使用していた丸ゴシック体+縦長矢印の駅名標では、駅ナンバリング導入後も隣接駅のナンバリングシールは貼られないままで使用されていた。



<角ゴシック体の登場> 〜3代目様式〜
↓角ゴシック体の例

↓旧国名部分は通常サイズになる


 自駅名の表記フォントは、上記の通り当初は丸ゴシック体であったが、駅ナンバリング導入後に角ゴシック体の物が登場している。

 2007〜08年頃から出現した様式で、駅ナンバリング導入以前には存在は確認されておらず、当方所蔵画像では、角ゴシック体+駅ナンバリング表記無しという駅名標は見当たらない。

 上記のように、在来の駅名標にナンバリングシールを貼ったことで隣駅の矢印が隠れたり一部しか見えない状態となったことから、最初からナンバリングの表記されたタイプに様式が変更され、その際にフォントも変更されたのではないかと思われる。
 隣接駅の矢印が直角三角形となっているが、これも丸ゴシック体+棒矢印のものにナンバリングシールを貼付したときの矢印先端の見え加減が、そのまま採用されたものであろうと想像される。
 また、最下部の所属自治体名も角ゴシック体で統一されている。

 隣接駅が複数の場合でも三角矢印が1つだけという点は、丸ゴシック体の物と同様である。


 さらに新様式の駅名標では、自駅名の旧国名の部分が通常の文字サイズになっているほか、駅名が4文字以上になる場合は丸ゴシック体の表記に比べて文字間隔が狭くなっているのが基本様式のようである。


 近年新しく更新されている物は基本的に全てこのタイプとなっているが、従来同様に駅単位ではなく、それぞれの駅名標個別に更新が行われており、同じ駅で丸ゴシック体と角ゴシック体が混在しているケースもごく普通に見られ、同じ駅名標の表と裏で異なっているパターンも散見される(オレンジタウン駅など)。




 この様式も途中で何度かの細かい仕様変更あるいは仕様の異なるパターンが確認されている。

 特に目立つ点としてはローマ字表記と所在地表記の文字の太さが異なっている物があり、手持ち画像からは2008年に高架化された高知や円行寺口などに比べて、2020年開業の南伊予は文字が太くなっているのが確認できることから、太文字の方が新しい様式と推察されるが、いつから登場したのかはよく判らない。



 蛇足であるが、JR四国では駅ナンバリング実施以降に新設された駅がある場合は、一つ手前の駅(起点側にある駅)の番号に「−(ハイフン)」を付けてから1,2,3・・・と増えた順に番号を付与している(左画像の小村神社前駅の例を参照)。
↓文字数が多い駅名標での文字間隔の比較例

↓旧国名以外の部分も詰められている。

↓例外的に同じ間隔で配置されたものも存在する

↓3文字でも間隔が詰められたケースも存在する

↓極めて特殊な例
(2019年時点での現状)


 角ゴシック体の駅名標については、旧国名が入らない駅名で4文字以上になる場合は従来の丸ゴシック体の物に比べて文字間隔が詰められているが、山田西町駅のように何故か丸ゴシック体と同じ文字間隔で配置されている例も存在する。

 同じく駅名3文字の場合は、基本的に丸ゴシック体と同じ文字間隔のようであるが、これまた例外が存在し、二軒屋駅のように間隔が詰められているケースも見受けられる。

 さらに旧国名を含む駅名の場合、旧国名以外の部分についても文字間隔が狭くなっている。


 特殊な例として、2019年8月時点でのオレンジタウン駅の駅名標がある。
 これは、島式ホームに建っている同じ駅名標の1番ホーム側と2番ホーム側とが、それぞれ角ゴシック体と丸ゴシック体という異なるフォントになっているだけでなく、あまりに文字数が多すぎて間隔を詰める余地が無いためか、どちらも同じ文字間隔となっている、という点で、現状唯一無二の極めて珍しい事例となっている。




<マット調とホログラム調>
↓両者が混在する阿波川島駅の例
↓マット調
↓ホログラム調

↓丸ゴシック体にもホログラム調の物がある

↓帯の部分がホログラム処理されていない北宇和島駅の例


 非電照式の駅名標の場合、表面がつや無しマット調の物と、光に反射するホログラム調の物が存在する。
 マット調は当初から存在したものであるが、ホログラム調の出現時期については不明である。

 ホログラム調の物は、初代様式である丸ゴシック体+縦長矢印表記の駅名標でも確認されるが、老朽化で一度更新されたものである可能性も捨てきれず、最初から存在したものかどうかは確認できない。


 数としてはマット調の方が多く、特に初期の丸ゴシック体の物については、ほとんどがマット調である。
 現在の標準様式である角ゴシック体の駅名標では、ホログラム調の比率が(丸ゴシック体の物に比べて)高くなっているように見受けられる。

 もちろん、これも駅単位ではなく駅名標各個別に更新されていることから、同じ駅でも両者が混在しているケースが多いが、その選定基準については全く不明である。


 なお、ホログラム処理は全体に施されている物の他、スカイブルーの帯の部分だけが除外されている物も見られ、特に丸ゴシック体のものに多い。




<設置形態>
↓電照(吊り下げ)式の例

↓建植式の例

↓電照(壁掛)式の例

↓壁貼り付け(枠なし)の例

↓壁貼り付け(枠あり)の例

↓壁ネジ止めの例

↓壁埋め込み(電照)の例

↓壁埋め込み(非電照)の例


 駅名標の設置形態は、電照(吊り下げ)式と建植式の2つを基本に、現場に合わせた変則的な形態がいくつか見られる。


 電照吊り下げ式は当然ながら屋根のある場所に設置されるが、屋根のある場所でも何故か建植式の物が建っている例もある。
 コレは元々建植式の物が建っていたところに後になって屋根が設置されたパターンが多い(新居浜駅・阿波池田駅など)が、維持コスト低減などの何らかの理由で吊り下げ式だった物を建植式に変えている例もある(多度津駅)。


 壁掛けタイプは、電照式の物をほぼそのまま壁に掛けた感じのタイプが新居浜駅の1番ホーム改札横に設置されている。


 壁掛けタイプの類似ながら、非電照式で薄いプレートをそのまま設置しただけのような、「壁貼り付け」タイプが、伊予西条駅、阿波池田駅、入明駅、円行寺口駅等で見られる。
 壁貼り付けタイプでも、駅名プレート単体をそのままではなく、金属枠が付加されているパターンも散見され、観音寺駅や布師田駅に設置されている。

 その類型で、貼り付けることの出来ないような場所にはネジ止めで固定する場合もあり、文化の森駅で採用されている。



 なお、吊り下げ式の物は例外なく全てが電照式となっており、逆に建植式で電照式の物は存在しない。
↓建植式片面駅名標の裏側(八十場駅)


 ちなみに建植式の場合、支柱は駅名プレート2枚分の幅があり、同じ支柱を使用して片面ホームでは片側のみ、島式ホームでは両面にそれぞれ駅名標が設置できるように部品共通化の工夫がされている模様である。



<分岐駅における隣接駅の表記>
↓高松駅の例

↓多度津駅の例

↓伊予大洲駅の例

↓北宇和島駅の例

↓佃駅の例

↓佐古駅の例


 JR四国では、分岐駅における隣接駅の表記に工夫が凝らされ、「駅名標を見たときに、物理的な分岐方向が視覚的感覚的に一致するように」記載されている。

 例えば左の高松駅の場合、山側から(海側に向かって)駅名標を見ると、北を上向きにして地図を見たときと同じように、香西が上、昭和町が下へ分岐する視覚的実態に沿った位置関係となっている。
 この反対側は、これと逆向きのことが言えるわけである。


↓大雑把な図解w



 このイメージはJR四国内全ての分岐駅で統一されており、また他のJR各社には見られない大きな特徴となっている。



 ちなみにJR他社の場合、「自駅と同じ路線に所属する隣駅の方が上」に表記されるのが基本のようである。
 また、「複数の隣駅がいずれも自駅と異なる路線に所属する場合は、重要度の高い路線に所属する駅が上」となっているケースが多いように見受けられる。
↓池谷駅の例
(高徳線ホーム)
(鳴門線ホーム)


 なお分岐駅であっても、池谷駅のように路線によってホームが完全に分かれている場合には、当該路線の隣接駅のみが表記されている。
↓後免駅の例
(1番ホーム)
(2/3番ホーム)


 また後免駅の場合は、土佐くろしお鉄道線へ直通する列車も発着する1番ホームと、構内配線の関係で直通が不可能となっている2/3番ホームでも、同様に区別されいている。

↓徳島駅の例
(1番ホーム)
(2〜4番ホーム)


 行き止まりホームとスルーになっているホームが混在する徳島駅でも、ホームよって駅名標が区別されている。

↓なお、高松駅の場合は全てのホームで表記が統一され、全ての駅名標に香西駅と昭和町駅の表記がある。
電照状態の多度津駅の吊り下げ式駅名標

2/4番ホーム側は常道通りだが

反対側は・・・

シールの下の表示は逆

(2019年10月現在)


 ただし、この表示方法はJR四国様式の駅名標制定当初からの物ではなく、第2世代(自駅名漢字&ひらがなとも角ゴシック体+縦長矢印のタイプ)からの物と思われる。


 2019年10月現在多度津駅に設置されている電照吊り下げ式の駅名標にその証拠を見ることができ、夜になると1/3番ホーム側の隣接駅名表示の部分に貼られたシールの下に、現在とは上下が逆に表示された駅名表示を確認することが出来る。




<駅名標変遷のパターン>
↓松山駅の変遷の様子
A
A+ナンバリング(以下「N」)
C


↓貞光駅の変遷の様子
A
BN変
C


↓半家駅の変遷の様子
A
B
BN

(次は角ゴシック体に?)

↓琴平駅の変遷の様子
@
(Aの時代があった?)
AN
C


↓津島ノ宮駅の変遷の様子


 本項における考察から、JR四国の駅名標の様式は以下の変遷を辿っているように見受けられる。

@自駅名丸ゴシック体+隣駅縦長矢印表記 (1991年〜)
 最初期は自駅名ふりがなが明朝体。これを初代とする。

A自駅ふりがなを丸ゴシック体に変更(1992年〜)
 2代目としたいところであるが、初代からの変更期間が短いことから、個人的にはこれは初代のバリエーション違いと解釈したいところ。
 明朝→丸ゴシックと代替わりしている物も少数確認される。

B自駅名丸ゴシック体+隣駅棒矢印表記 (2005年頃?〜)
 初代から14年ぐらい経過していて、デザインの変更を伴っているのでこれを2代目としたい。


 駅ナンバリング制度導入 → 暫定的にナンバリングシールを貼付(2006年〜)
 このとき、基本的に矢印部分にシールを貼付したため、@Aの場合は矢印が見えなくなり(パターン@N/AN)、Bの場合は矢印先端部分のみが見えるパターン(パターンBN)になった。


C自駅名が角ゴシック体+隣駅三角矢印となるパターンを制定 (2007〜08年頃?〜)
 現行の3代目様式。

 この現行様式の中には、ローマ字表記と所在地表記の文字がやや太いパターンも確認され、恐らくコレが現状最新の様式と思われるが、いつ頃登場したかは不明。




 例えば松山駅の場合は、A→A+ナンバリング(以下文中「N」)→Cと変遷している様子が判る。
 現状では、このパターンの変遷を辿っている駅が最も多いのではないかと推測される。

 貞光駅の場合は、A→B→BN→Cと、現在の駅名標は少なくとも4代目であるのが確認できる。
 (左画像では解像度の関係で初代の駅名標が非常に判りにくいが、文字間隔から@パターンと推測される)

 半家駅の場合は、A→B→BNと変遷しているパターンで、現時点で自駅名丸ゴシック体+隣駅三角矢印の表示で残っている駅のほとんどがこのパターンと思われる。


 電照吊り下げ式しか存在しない琴平駅の場合、当方手持ち画像では@の次に、ANが確認されていることから、ナンバリングシールを貼る前のAの状態もあったかもしれない。
 現在はC角ゴシック体の物に変わっていることから、Aパターンがあったのであれば、現在の駅名標は4世代目ということになる。


 津島ノ宮駅は自駅が駅ナンバリング対象外だったこともあり、隣駅のナンバリングシールも貼付されないままで初代の丸ゴシック体Aから、いきなり現在の角ゴシック体Cに移行している。
 更新時期は2010年以降2016年までの間の模様で、田井ノ浜駅も同様のパターン。



<特殊な駅名標>

 これまでに述べた標準的な駅名標以外に、観光目当て等で特殊なデザインの駅名標が設置されているケースが散見される。


 旧国鉄時代の駅名標を保存していたり、それを模して製作されたレプリカを飾っている場合を除き、通常の駅名標として使用している例としては、市坪駅の特殊なデザインの駅名標が挙げられる。
 図柄を説明するのも面倒なので画像を参照(ぉぃw



<駅名標は減少傾向>
↓建植式駅名標の撤去痕
(今治駅1番ホーム)
(今治駅2/3番ホーム)
(黒川駅)
(鳴門駅)


 これは蛇足となるが、JR四国の駅名標の数そのものは減少傾向にある。
 昔は片面棒線駅でも駅名標が複数設置されているのが割と普通であったが、現在は1つだけという駅が非常に多く、特に普通列車のみが停車する駅ではホーム1本につき駅名標も1つというパターンが基本となっている模様である。

 主目的は恐らく保守コストの軽減と思われ、撤去された駅名標は建植式の物が多いが、それ以外にもホーム屋根の建て替え時に電照式の吊り下げタイプを非電照の建植式の物に置き換えてしまっているパターンも見受けられる(多度津駅等)。
 このほか、特に普通列車を中心として列車の編成が短くなったことから、普段全く列車の停車しない位置に設置されていた駅名標を中心に撤去が進んだのも理由のひとつと思われる。


 その結果、本項最初に触れた駅名標更新を発表した時点(1991年10月)では、建植式の駅名標が無い駅は全258駅中5駅(4県庁所在地駅+琴平駅)であったが、2017〜19年時点ではこれ以外にも宇多津・丸亀・川之江・今治・八幡浜・鳴門・二軒屋駅等多数が該当する(逆に高知駅は高架化によって新たに建植式の物が出現しているが)。



<駅名標分布図>

 以上で考察してきたJR四国各駅の駅名標を、初代の丸ゴシック体+縦長矢印+自駅明朝体タイプと、初代のバリエーションとも言える丸ゴシック体+縦長矢印+自駅丸ゴシック体タイプ、2代目丸ゴシック体+棒矢印タイプ、さらにC現行・3代目の角ゴシック体タイプの4種類に大きく分けて、その分布図を大雑把にまとめてみた。


(2017〜19年時点で小生が確認した駅名標分布図)



 初代の物がまだ比較的多くの駅で残っていることが判る。

 2代目の様式は徳島線では最多勢力であり、予讃線と土讃線でも多くが残っているが、何故か牟岐線と鳴門線では全く見られないのも興味深い。

 3代目の角ゴシック体は四国南部から徐々に勢力を拡大しているが、中央構造線付近のラインより北側ではまだ少ない印象。


 また、これらが複数併存している駅も比較的多い。
 なお、上記で丸ゴシック体の残存率が高いと記した電照吊り下げ式のみを表示するとこうなる↓

(2017〜19年時点で確認される電照吊り下げタイプの分布図)


 このうち、多度津・善通寺・須崎駅の物は1991年に設置された最最初期の様式の希少な残存例である。






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