須崎駅 (土讃線)
駅番号:K19

住所高知県須崎市原町
開業日1924年3月30日
電略スキ
標高2m
乗降客数 (1989年)2,356人
(1999年)1,356人
形態併用2面3線
主な設備 みどりの券売機プラス
ワーププラザ

車deトレイン取扱

須崎駅内郵便局




 高知県内の国鉄線発祥の駅であり、須崎市の中心駅。現在の駅舎は1955年の竣工。
 工場用地を挟んで須崎港にほぼ隣接しており、駅の跨線橋からは海が見える。

 開業当初より当駅を通過する列車は存在せず、現在も全ての列車が停車する。
 高知方面からの普通列車は過半数が当駅で折り返し運転となっており、これより先は特に普通列車の本数が大幅に減少する。

 かつてはキヨスクなどの売店等があったが、それらは全て撤退しており、駅舎内には駅事務室とワーププラザのみが残っていたが、2009年にそれまでの須崎駅前郵便局が駅舎内に移転し、須崎駅内郵便局と改称している。

 2021年10月に、みどりの窓口が閉鎖されて代わりにみどりの券売機プラスが設置された。
 さらに同年12月、英国風に改築された駅舎がオープンし、12月18日に点灯式が行われた。



 駅舎内の様子。

 向かって左に須崎駅内郵便局の窓口がある。
 なお、郵便局出入口は2つあり、駅舎外からも出入できる(上画像参照)。

 ホームは片面+島式の併用2面3線。

 片面ホームと島式ホーが少しずれた状態で配置されている。

 片面ホームとなる1番ホームは、窪川側の一部がカーブしている。

↓1番ホーム上り方端部

↓1番ホーム下り方端部

 場内有効長は充分長いが、ホームは1番が6両編成、2/3番は5両編成までしか対応していない。
 その1番ホーも、1989年2月に数m分上り方に延長された部分に12番乗車口の表示があり、つまりそれ以前は21m級6両編成の場合はわずかにホームをはみ出していたことが伺える。
 なお、1番ホームは下り方端部にもスロープを埋めた痕跡がある。

 また、片面の1番ホームよりも、島式の2/3番ホームの方がかなり幅が狭い

 1/2番ホームの間には給水設備(の跡?)が残る。

 2/3番ホームには、昔懐かしの水飲み場がある。


 2018年10月現在、ちゃんと水が出て飲めることを確認(但しいきなり勢いよく出るので蛇口の加減に注意)。




 国鉄時代を象徴するような、古レールや木材などで構成された古風な跨線橋。

 2/3番ホーム側には、電灯の電球交換作業用と思われる足場が設置されている。

 なお、2023年現在は内外装がリフレッシュされて塗り直されている(鉄骨の梁部分が濃い青色)。

 その跨線橋の1番ホーム側の袂、駅名票プレートの隣には、通票閉塞時代に使用していた、「土佐久礼通票仮置場」の木札が今(2022年10月時点)もまだ残っている。


 上り方場内。

 2番ホームは下り列車専用。

 下り方場内。1番ホームは上り列車専用となっている。
 すなわち、当駅でそのまま折り返す列車は基本的に3番ホームから発着する。国鉄時代はこのような配線の駅ではこういう扱いとなるのが普通であった。

 このカーブの先、線路は市街地の軒先すれすれのところを通る。


 なお、信号機下の数字に注目。
 3番ホームからの出発信号機の下に「1」の番号、、、つまり1番線を示している。このような例はかなり珍しい。

 昔よりはかなり減ったが、今も多くの側線が残る。

 1番ホーム脇に残る、広い貨物跡地。


 2/3番ホームの下り方線路脇にある 「スサキエキ なべやきラーメンン」の広告(?)。
 駅舎向かい側の線路脇にも看板が立っている。

 いつからあるのか不明であるが、両方とも遅くとも2008年から存在しているのが、当方手持ち画像から確認できる。

 1番ホーム横のかつての広大な貨物跡地は、保線基地と駐車場になっている。

 吊り下げタイプの駅名標。

 2018年まで最初期タイプの物が残存していた(下記)が、恐らく2019年度に角ゴシック体の最新(3代目)様式の物に更新されている。

 「生えて」いるタイプの駅名標。

 こちらは、漢字/ひらがなとも丸ゴシック体で棒矢印となる、JR四国2代目様式の物となっている。

 2022年に塗り替えられた、1番ホームの観光標柱。

 下り方から場内を遠望する。


 駅舎横にある記念碑類。

 高知線の歌の碑と、高知県国鉄発祥地であることを示す碑、それにD51形の動輪が設置されている。


※2018年10月24日撮影


 地元団体による「土讃線発祥の地記念」「土讃線ゼロ起点」のプレート。

 しかし、須崎〜日下間が開通した当時既に、香川県側は讃岐財田まで開業済みであり、「土讃線発祥」と称するには少々無理があると思われる。




 2022年10月時点では、2/3番ホームと跨線橋のスレート屋根が一部抜け落ちていたが、半年後に再訪した際は修復済みであった。


※2022年10月5日撮影


 改装前の2018年当時の駅舎と、吊り下げ式駅名標。

 この時点まで、駅名ふりがなが明朝体となる初代様式の中でも最初期タイプの物が残存していた。


※2018年10月24日撮影









 2008年当時の様子。

 1番ホーム横の元の貨物扱所を転用した駐車場には、少なくともこの時まで貨物上屋の大屋根が残っていた(左画像6枚目)。


※2008年5月17日撮影


 1997年当時の様子。


※1997年6月7日撮影





 民営化直後の頃の様子。


 国鉄時代の2/3番ホームの駅名票は、一部の普通列車が通過する小駅である大間駅がカッコ書きされた、国鉄・四国の標準的スタイルであった。
 一方で1番ホームの駅名票では、そのカッコが消えて隣駅が2つあるかのような表記になってしまっていた。


※1987年4月7日撮影





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