多度津駅旧跨線橋の閉鎖から撤去工事完了までの記録を記載。
下に行くほど古い記事になっています。
撤去工事開始 (2022年1月6日)
信号機切替 (2021年6月14〜15日)
閉鎖前夜 (2018年3月25日)
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〜2022年2月9日〜
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南側から。
綺麗に何も無くなっていた。
これで後は、跡地を綺麗に整地して、ケーブル類にかけている保護カバーを外して完了であろうか? |
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北側から見た様子。 |
〜2022年2月3日〜
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南側から。
残っていた中央部分の橋桁も降ろされ、橋脚の撤去も既に終わっていた。
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解体中の最後の橋桁。
安全標語などが掲げられていた枠や、信号柱・時計柱も懐かしい。
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銘板部分は綺麗に切り取られていた。
どこかで保存するのであろうか? |
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下り方から見た駅の様子。
現在の新跨線橋が綺麗に見通せるようになった。 |
〜2022年1月26日〜
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北側(駅表口側)の状況。
大型クレーンが鎮座し、その下には北側約1/3の部分の橋桁が置かれていた。
これまでに、一体どれほどの人がこの橋を渡ったのであろう?
階段を上がったすぐの所に取り付けられていた、「このしたでんき!あぶない」の看板を見たのも久しぶりであった。
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此方は南側(駅裏手側)。
橋桁は丁度中央の1/3だけが残った状態。
後はこれを撤去した後、橋脚を撤去するのであろうか。
傍らでは、撤去した橋桁にカバーが掛けられ、その中では橋桁をさらに小さいパーツに分割するための切断作業が行われ、ガスバーナーの臭いが漂っていた。
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その橋桁に取り付けられていた銘板。
劣化が酷く、上半分3行ぐらいはよく読み取れないが、↓1月4日に撮影した橋脚に取り付けられている銘板(の上3行分)と、同じ文面のように見える。
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大変蛇足ながら、此方は北側で稼働していたクレーン。
シャシーはメルセデスだが、クレーン本体はうどん県が世界に誇るタダノ製。
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〜2022年1月13日〜
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1週間後。
階段部分は既に撤去されて搬出済みの模様。
作業員が利用するためとおぼしき昇降機が仮設されている。
階段の取付部分を見ると溶接されており、橋桁本体も金属製の模様である。
よく見ると橋桁途中に接続箇所があるが見て取れる。
撤去の際はここで切り離して吊り上げるのであろうか?
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〜2022年1月6日〜
撤去工事開始
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2022年1月4日から撤去工事を開始するという予告看板を見かけてから2日後の旧跨線橋の様子。
それまで上がり口に設置されていたフェンスが撤去されて、簡易なバリケードとなった。
数人の作業員の姿が見え、撤去工事に向けた最終チェックを行っていた模様である。
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〜2022年1月4日〜
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撤去される前にこれだけは撮っておこう、と、南側の橋脚に取り付けられていた銘板。
国鉄四国支社工事課設計で、合資会社平山組が施行。
設計荷重は1平米あたり500kg、昭和40年9月着手、昭和41年1月完成と読み取れる。
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〜2021年6月15日〜
〜2021年6月14日〜
信号機切替(および時計撤去)
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旧跨線橋は閉鎖後約3年近く外見上はそのままで存置(放置?)されていたが、その間2019年度には撤去工事に伴う設計(撤去計画)を外部事業者に委託して同年度中に設計完了し、2020年度には撤去工事にかかる費用等について詳細な検討を行った旨の多度津町議会の議事録が公開されており、いよいよ撤去工事開始も秒読み段階であることが読み取れた。
そしてついに2021年1月になって、旧跨線橋に取り付けられていた時計に黒いカバーがかけられ、遅くとも同年3月中までには撤去された。
さらに同年6月中旬に、旧跨線橋に設置されていた4〜7番線の出発信号機の切替工事が行われた。
左画像上から1枚目が、新しい4/5番の出発信号機と、「×」の付けられた旧4番線出発信号機(2021年6月14日撮影)。
2枚目がその翌日で、旧4番の出発信号は完全に撤去されていた。
3枚目は2021年6月14日撮影の旧5〜7番線出発信号機のあった支柱。
右端の黒石中が、時計の設置されていたところである。
4枚目が、6/7番出発信号機の新旧位置関係(2021年6月14日撮影)。
新しい信号機の方が20mほど下り方に設置されている。
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〜2018年3月29日〜
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閉鎖後まだ間もない頃の上がり口。
上が南側、下が北側。
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〜2018年3月25日〜
閉鎖前夜
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現在の新跨線橋が開通する直前、まだ普通に通行できていた頃の最終日の夜。
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