キハ35系 通勤形気動車
キハ35形
予讃本線 高松駅
1983年6月
四国独特の前面強化工事が施工された199号車
関西本線などで施工されたタイプと似ているが大きさが若干異なる
都市部の非電化区間に於ける通勤輸送対策として1961年に登場した、唯一の通勤形気動車である。
当時沿線人口が急速に延びていた関西本線(湊町〜奈良間)用としてデビュー。
外吊り扉を採用しているのが最大の特徴で、これは車体の強度を保つための施策である。
投入線区のホームが殆ど低床ホームであったため、ステップを設ける必要が生じたが、当時の車体設計技術では3扉でステップを設けた場合に、気動車の場合は床下にエンジンを搭載する関係から車体枠の強度に問題が残るため、このような特異な構造が採用された。
屋上のベンチレータ(換気扇)も、当時の通勤電車と同じグローブ形が採用された。
室内は当然ながらロングシートであるが、便所の向かい側だけはボックスシートとなっている。
車体全長は20mで、エンジンや液体変速機は当時の国鉄標準型機関が採用され、各形式ともエンジンは1台のみの搭載となる。
1961年に片運転台で便所付きのキハ35が関西本線に登場、翌1962年に便所無しのキハ36、さらに1963年に両運転台式で便所なしのキハ30が登場し、1966年までの間に総勢413両が製造された。
国鉄末期から急速に廃車が進んでいたが、1990年に山陽本線和田岬支線用にエンジンを撤去したキクハ35形や、扉をいくつか埋めた改造車が誕生した。
四国へは1965年から1966年にかけて、キハ30形が3両(64/65/85)とキハ35形が7両(119〜123/198/199)の10両が徳島気動車区(当時)に新製配置され、全車が徳島地区で運用された。
このうちキハ35形5両(119〜123)は1970年に奈良へ転属し、残る5両が国鉄末期まで活躍した。
JRにはキハ30/35形各2両が継承(キハ30−64は国鉄末期に廃車)され、JR四国色となって活躍していたが、1000形気動車の導入等によって1990年11月改正をもって全車運用から離脱、廃車処分とされた。
なお、国鉄末期から廃車までの間、四国のキハ35系はイベント用途として車内に畳を敷いて簡易お座敷車としても使用できるようになっていた。
朝刊紙の連載記事に掲載された、簡易お座敷車の室内の様子
キハ35形かキハ30形のどちらなのかは不明
形式
キハ30形
キハ35形
キハ36形
寸法
L
20,000 mm (連結面間全長)
19,500 mm (車体長さ)
W
2,929 mm
H
3,945 mm (全高)
3,690 mm (屋根高さ)
台車中心間距離
13,800 mm
重量
32.4 t
32.0 t
31.2 t
車体
普通鋼
機関形式
出力
DMH17C
180PS/1,500rpm × 1
変速機
TC2A 又は DF115A
(変速1段・直結1段手動変速)
最終減速比
2.976
ブレーキ方式
DA1A
ブレーキ装置
踏面片押
台車形式
DT22A/TR51A
許容最高速度
95km/h
車体構造・客室
3扉ロングシート
乗車定員
128(座席:56)
132(座席:58)
142(座席:58)
検索サイトから直接来られた方は、
ここ
をクリックしてTopに移動できます