形状 | 形式 | 区分 | 新製数 | 仕様 | 四国への配置実績 |
両運転台 片開きドア | キハ40形 | 100番台 | 150 | 極寒地仕様 | 無 |
500番台 | 94 | 寒地仕様 | |||
2000番台 | 148 | 暖地仕様 | 有 | ||
片運転台 両開きドア | キハ47形 | 0番台 | 193 | 暖地仕様・トイレ付き | |
500番台 | 22 | 寒地仕様・トイレ付き | |||
1000番台 | 134 | 暖地仕様・トイレ無し | |||
1500番台 | 21 | 寒地仕様・トイレ無し | |||
片運転台 片開きドア | キハ48形 | 0番台 | 6 | 暖地仕様・トイレ付き | 無 |
300番台 | 4 | 極寒地仕様・トイレ付き | |||
500番台 | 59 | 寒地仕様・トイレ付き | |||
1000番台 | 4 | 暖地仕様・トイレ無し | |||
1300番台 | 3 | 極寒地仕様・トイレ無し | |||
1500番台 | 50 | 寒地仕様・トイレ無し | |||
合計 | 888 |
![]() 予讃線 丸亀駅 1991年9月 予讃線電化後もしばらくは高松口でも残存したが、相対的な性能低下等により、遅くとも1995年までには撤退している。 |
![]() 予讃線 市坪〜北伊予間 1992年8月16日 朝の通勤列車として重信川を渡るキハ47形。 民営化後もしばらくはキハ58系などとの併結で最長6連の普通列車も存在したが、1990年代以降は最大でも4連までとなった。 |
![]() 予讃線 讃岐塩屋〜多度津間 1992年1月3日 キハ65形とペアで予讃線を行く、土讃線ローカル。 この当時の松山運転所所属のキハ47形は、非力な性能を補うためかキハ58形およびキハ65形とのペアが基本であった。 しかしその組み合わせでは、キハ58形の冷房が使えなくなることから特に夏期にクレームがあった模様で、1995年までには解消された(同時に、土讃線及び予讃線高松口の定期運用が消滅した)。 |
![]() 牟岐線 海部駅 1997年12月15日 海部駅で阿佐海岸鉄道のASA−101形(左)と並んだ、キハ40形の牟岐線ワンマン列車(右)。 |
![]() 徳島運転所 2003年9月18日 徳島運転所で並ぶキハ40系。 |
![]() 徳島運転所 2008年5月22日 屋根上のトイレ用水タンクは、製造時期によって形状が異なる。 本来の仕様では古い方が角張っているが、四国配置車には新製時に角仕様の車両は存在せず、全て丸いタイプの車両であるが、これを角形に換装している例が多い。画像右側のキハ47−116号車も、本来は左の504号車と同じ丸形であった物を換装している。 ※ 詳細は下記小ネタを参照 |
![]() 予讃線 高松駅 2016年9月21日 高松駅まで尻切れトンボで試運転されてきた多度津工場出場車を運転所まで「牽引」するのも、昼間車庫で寝ていることの多いキハ40系の最近の「仕事」のひとつとなっている。 |
![]() 予讃線 高松駅 2017年5月21日 復活首都圏色+キハ40形の3両編成の高徳線ローカル。 |
キハ40形2000番台車の室内 暖地向け車両は寒色系の内装色となっている。 左右合わせて6ボックス分のクロスシートがロングシート化されている。 これにより、トイレ撤去と合わせて乗車定員が92名から130名に増加している。 |
今は亡き、キハ47形500番台車の室内。車端側から前位側を見たところ。 寒地向け車両なので内装は暖色系となる。 撮影者の左側にトイレがある。 |
キハ47形0番台車の室内。同じく車端側から前位側を見る。 化粧板の色が異なる以外は、500番台車と同一。 |
1000番台車の客室。前位側から車端側を見る。 0/500番台車の場合は右手一番奥にトイレがある。 |
0番台車のトイレ部分。 |
トイレ用水タンクのある部分は低屋根のため、冷風ダクトもそれに合わせて段差付きになっており、見栄えは良くない(キハ47−177)。 |
キハ40−2142の運転台。 床面から2段上がった高運転台となっている。 ワンマン運転に対応したキハ40形は、後方確認用のミラーを装備しており、貫通路を使用するときは、ミラーを運転台側に収納する。 | ||
暖地向けのキハ47形0・1000番台の客室内は、レイアウトは500・1500番台と同じで、内装色がキハ40形2000番台と同じになる。 冷房装置の取り付け改造を行っている関係で、天井部分がオリジナルに比べてかなり起伏が激しくなっており、はっきり言って美観は悪く、その上冷房使用時は冷房用エンジンの音も加わって結構五月蠅い。 |
車両重量に対して非力なエンジンを搭載し、しかも1軸のみを駆動するキハ40系は、主に勾配登坂時などのスリップ対策として、砂撒き装置が設置されている。 取付方はキハ40形とキハ47形とで異なっており、キハ40形の場合は駆動軸の両側任意の方向に撒ける構造になっているが、キハ47形の場合は前位側のみに撒けるようになっている。 キハ47形の500&1500番台車は砂箱等の構造が異なり、予熱機能付きの寒地仕様の物を取り付けていると思われる。 |
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キハ40形の台車 向かって右側車軸の上にあるのが砂箱 車輪の両側に撒ける構造 ![]() 牟岐線 牟岐駅 2010年9月8日 |
キハ47−1118の台車(公式側) 前位側にだけ撒ける構造 ![]() 予讃線 松山駅 2005年6月18日 |
キハ47−114の台車(非公式側) これも前位側にのみ撒けるようになっている ![]() 高徳線 徳島駅 2020年5月12日 |
キハ47−1505の公式側 向かって右の車軸の左側の四角い箱が砂箱 ![]() 高徳線 徳島駅 2008年8月15日 |
キハ47−503の非公式側![]() 高徳線 徳島駅 2008年8月15日 |
国鉄時代のキハ47−118の台車 砂撒き装置はまだ無い ![]() 土讃本線 讃岐財田駅 1985年3月13日 |
四国配置車の砂撒き装置は民営化後に取り付けられたものであると思われるが、詳細な時期は不明。 当方手持ち画像では、国鉄時代には見当たらず、徳島配置車両については1999年時点においてもまだ付いてない車両が存在した(例:キハ47−505=1999年3月12日撮影 ![]() ![]() 松山配置車については確認できる画像は全くと言っていいほど無いことから不明であるが、かつては33‰の急勾配区間を(キハ54形などの強力型と連結とはいえ)登坂していたことから、もう少し早い時期に取り付けられた可能性もある。 |
四国のキハ40系は現在に至るまで機関換装は受けておらず、駆動系は基本的に登場時のオリジナルの状態となっている(ただし燃料噴射系が直噴化改造されている)。 しかし空調に関しては、南国という地理的条件もあり民営化後まもなく冷房装置の取付改造が始まった。 元々キハ40系は車体重量の割にエンジン出力が小さいことから、冷房電源用のサブエンジン(S4F形:4気筒)が搭載されることとなったが、標準状態では床下に設置する空間がなかったため、もともと四国向けとしては強力すぎる暖房用の熱交換機を撤去してその場所に搭載している。 元々熱交換機があった場所の車体部分には外気導入口のスリットが設けられていたが、キハ40形/47形とも公式側のみのスリットが塞ぎ板で埋められている(非公式側の物は残っている)。 改造進捗は非常に速く、1988年7月には当時在籍する53両全車の冷房改造が完了している。 |
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![]() 2019年2月23日 高徳線 徳島駅 FTUR−300−104形インバーター式冷房装置。 各車両にこれを2基搭載。 |
![]() 2008年10月11日 多度津工場 冷房駆動用のS4F形4気筒エンジンと発電機のユニット。 |
![]() 2008年10月11日 多度津工場 反対側。 |
![]() 2010年9月8日 牟岐線 牟岐駅 キハ40−2146の、暖房用外気導入口を塞いだ痕跡。 |
![]() 2008年10月25日 予讃線 八幡浜駅 此方はキハ47形。 | |
![]() 1983年6月 予讃線 高松駅 冷房化前のキハ47形の暖房用熱交換機(L字形及び逆L字形の部品)と外気導入口のスリット。 |
![]() 2010年1月21日 徳島運転所 冷房化後の同じ部位。 燃料タンクの前位側に隣接しているのが冷房電源用発電ユニット。 外気導入口のスリットは非公式側(車両前位側に向かって右側側面)はそのまま残っている。 |
国鉄時代は独自の検測車を保有していなかった四国総局であるが、民営化後は軌道検測車として当時向日町運転所所属だったマヤ34形を1両譲り受けた。 これとは別に、キヤ191形等によって行っていた電気関係などの検測を一部自前で行うため、キハ40形の2147号車に簡易検測装置の取付を行った。 改造内容は以下の通りとなっている。 (1)車両両端のスカート下端部分に踏切制御子測定用の受電器を各2個取付。 (2)後位側台車にATS地上子測定用の車上子を2個取付。 (3)後位台車に速度発電機を1個取付。 (4)後位運転台に接続部を設置。 改造は1988年に行われ、少なくとも2015年までは設置されていた模様であるが、2016年には撤去されているのが確認されている。 また、後位側の踏切制御子測定用受電器は2008年の時点でも取り付けられていない状態のが確認されており、一時的に取り外していた時もあったものと思われる。 |
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![]() 高徳線 徳島駅(徳島運転所) 1999年3月13日 1999年当時の同車。 スカート下端に箱状の物が設置されている。 |
![]() 予讃線 高松駅 2003年10月5日 前位側正面から見たところ。 レールの幅に合わせられている。 |
![]() 高徳線 池谷〜勝瑞間 2008年5月12日 後位側の受電器はこの時点では確認されなかった。 2015年時点で取り付けられていたという情報があり、このときは一時的に撤去されていたものと思われる。 |
![]() 予讃線 高松駅構内 2016年9月21日 高松まで試運転されてきた点検出場後のN2400形を運転所まで回送していくシーンで撮影した連結面(前位側)。 装置が取り外されているのが判る |
![]() 予讃線 高松駅 2017年5月21日 後位側。 受電器撤去跡のスカート部分には取付ネジの穴が開いたままとなっている。 |
JR四国では、それまで列車種別のみを表示していた国鉄形車両の前面方向幕を、1998年末頃に行先表示の物に取り替え、同時にサボの使用をやめている。 恐らく省力化と部品調達の関係と思われる。 なお、1000形等のJR形車両は登場当初から行先表示タイプとなっている。 |
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![]() 土讃本線 讃岐財田駅 1985年3月 国鉄時代、普通列車の方向幕は上のように白幕表示のままが多かったが、希に青地の「普通」表示を出していることもあった。 |
![]() 予讃線 丸亀駅 1991年9月 民営化後は「普通」表示をするのが普通になったが、国鉄時代と異なり白地表示に変わった。 |
![]() 徳島線 辻〜佃間 1998年5月 1998年の秋から年末の間に現在のような行先表示に変わったが、その直前まで青地幕の残っている車両も見受けられた。 |
キハ40系は本来、前面に備えられたホーンには開閉式の蓋が付いていたが、民営化後の早い時期からスリット式への交換が進んだ。 しかし当方手持ち画像を見ると、1992〜93年頃の時点では、徳島配置車はほぼ全てスリット式に交換されているのに対し、松山配置車はほぼ全てが蓋式のままで残っていた。 松山配置車は、少なくとも1990年代末までほとんどが蓋式のままで、当方で確認できる画像では2005年6月13日時点でもまだ蓋ホーン車が残存していた。 このように配置区所によって極端な差が出ている理由は不明である。 情報に寄れば、松山のキハ47−175と、徳島のキハ47−1120が2013年まで蓋式であったとのことである。 1120については、2016年に廃車後に多度津の留置線に移動してきた時点では既にスリット式であったので、その間に交換された模様であるが、175については最後はどうなったのか不明である。 |
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![]() 予讃線 今治駅 1992年12月 当時松山配置のキハ47−1117。 オリジナルの蓋ホーンのままである。 |
![]() 高徳線 志度〜造田間 1993年4月 当時徳島配置のキハ47−145。スリット式である、なお、2両目の1000番台車(車番不明)もスリット式であった。 |
![]() 予讃線 伊予若宮(信)〜伊予大洲間 1997年6月7日 この当時においても松山配置車はほぼ全て蓋式のまま残存していた。 |
![]() 予讃線 松山駅 2005年6月13日 車番が確認できないが、当方手持ち画像で最後に確認される蓋式のキハ47形。 情報筋と照らし合わせると、松山配置車で最後まで蓋式で残っていたキハ47−175の可能性が高い。 |
![]() 予讃線 多度津駅 2016年5月25日 徳島配置車で最後の蓋式であったとの情報があるキハ47−1120であるが、最後はやはりスリット式に・・・ |
キハ40系はトイレ用の水タンクを屋根上に搭載している。 水タンクは基本的に丸い蒲鉾形であるが、最初期のキハ40形(101〜110号車)およびキハ47形(1〜8号車)は角形で新製落成している。 四国在籍の車両については、全ての車両が本来は丸い蒲鉾形のタイプであるが、角形タイプのタンクに換装されたキハ47形が存在する。 当方手持ち画像で確認できる範囲では、114/118/145/505号車の4両が当初の丸形タンクから、角形タンクに交換されている。 交換の理由については腐食等が考えられるが、正確なところは不明である。 |
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国鉄時代の114号車![]() 土讃本線 多度津〜金蔵寺間 1986年1月1日 |
土讃線ローカルの118号車![]() 土讃本線 讃岐財田間 1985年3月14日 |
土讃線ローカル最後尾の145号車![]() 土讃本線 讃岐財田駅 1982年8月 |
予讃線ローカルの先頭に立つ505号車![]() 予讃線 市坪〜北伊予間 1992年8月16日 |
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徳島運転所で昼寝中の114号車![]() 高徳線 徳島駅 2008年5月22日 |
牟岐線ローカル列車先頭の118号車![]() 高徳線 徳島駅 2010年1月21日 |
角形タンク化された145号車![]() 予讃線 高松〜香西間 2019年9月19日 |
徳島へ転じた505号車![]() 高徳線 徳島駅 1999年3月12日 |
上記の例で例えば505号車の場合は1992年8月までは丸タンクであることから、他の車両についても換装されたのはそれ以降である可能性がある。 この4両以外にも、112/113/116/117/144/191/503号車の7両が、最末期および現在は角形タンクとなっているのが確認できており、これらの車両も換装されたものと思われる。 なお、このタンクは多度津工場で作成されているものである可能性が高いが、手作りのせいなのか厳密にサイズが決まってないのか、結構個体差が見られるのが面白い ![]() キハ40形については換装された車両は見当たらないが、キハ47形でタンク換装が始まったと思われる1992年の時点では、既にキハ40形は全車がワンマン改造を受けてトイレが撤去されており、わざわざタンクを換装する必要がなかったためと推察される。 |
キハ40形はJR化後に、他の一般車両と同様なJR四国標準色に塗り替えられて、水色の「JR」マークも描かれているが、このマークの位置が近年になって変更されている。 その前にまずキハ40形の「位置称呼」であるが、両運転台車である同車は「エンジンのある側が前」「元トイレのあった側が後」であり、後位側の前面運転助手席側には、製造銘板や検査標記が記載されている。 つまり、エンジンのある前側の運転助手席側が「第1位側」、同じく運転席側が「第2位側」、そしてエンジンが無い後ろ側の運転席側が「第3位側」、同運転助手席側(=銘板や検査標記のある側)が「第4位側」となる。 ちなみに、エンジンの排気管は第1位側、屋根に上がるための折り畳み梯子が第4位側に設置されている。 以上を念頭にいきなり結論から言うと、「JR」マークの位置が、以前の「第3位側および第4位側」から、最近になって「第1位側および第4位側」に変わっている。 つまり、第4位側は変更はないが、従来第3位側にあったものが第1位側に移動している。 別の言い方をすれば、第1−3位側側面を見た場合(この場合、車両に向かって右が「前」になる)に、JRマークが左から右に移動している。 さらに別の表現をすれば、車両側面に向かってサボ受けの反対側(=右側)にJRマークが付くようになった。ということになる。 以下に画像を例示する。 |
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(2107号車の例)![]() 牟岐線 牟岐駅 2003年9月18日 |
(2147号車の例)![]() 高徳線 池谷〜勝瑞間 2008年5月12日 |
(反対側は、第4位側のままで変わっていない) (2147号車の例) ![]() 高徳線 徳島駅 1999年3月13日 |
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![]() 予讃線 鬼無駅 2020年3月17日 |
![]() 予讃線 高松駅 2016年9月21日 |
![]() 予讃線 高松駅 2017年5月21日 |
恐らく、マークの付ける位置の基準等が変更になったものと思われるが、当方手持ち画像では遅くとも2016年には新しい位置に付いている車両が出現していることから、その前に変更されたのであろうか。 変更された理由は不明であるが、位置の変更は全般検査等の時の全再塗装の際に変更(適用)されているものと見受けられ、2022年1月時点では、まだ「第3位側および第4位側」にマークが付いている車両も散見される。 |
形式写真 | 形式 |
キハ47形 500番台 (四国では消滅) |
キハ47形 1500番台 (四国では消滅) |
キハ47形 0番台 |
キハ47形 1000番台 |
キハ40形 2000番台 |
車体 |
(公式側)![]() ![]() (非公式側) ![]() |
(公式側)![]() |
(公式側)![]() ![]() (非公式側) ![]() ![]() |
(公式側)![]() (非公式側) ![]() |
(公式側)![]() ![]() ![]() (非公式側) ![]() ![]() |
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寒地向け片運転台式の500/1500番台。台車が異なる以外は暖地向け0/1000番台と外見上の区別が付かない。 500番台と1500番台の見た目の差異は、トイレ設備と屋上の水タンクの有無だけである。 |
暖地向け0/1000番台車。最近はホーンの蓋が単なるスリットに交換された車輌が増えている。 0番台と1000番台の外観上の差異は、やはり屋根上の水タンクとトイレ設備の有無のみである。 |
暖地向け両運転台式のキハ40形2000番台。 JR四国のキハ40形は、新製当初装備されていたトイレ設備は廃止され、屋上の水タンクも撤去されているほか、ワンマン設備が搭載されている。 |
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屋根上 | ![]() | ![]() | ||||
ベンチレータが2個撤去されて、その跡にセパレート式クーラーが搭載されている。 トイレ付きなので水タンクも搭載。 水タンクの部分は低屋根になっている。 | 水タンクが無い以外は0番台車と同じ。 |
トイレ撤去に伴って水タンクも撤去されているが、撤去跡が低屋根のままになっている車両と、ベンチレータも撤去して通常の高さに改造したものとが存在する。 上画像は2148号車。 |
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製造元 | 新潟鐵工所/富士重工 | |||||
寸法 | L |
20,800 mm (車体全長) 21,300 mm (連結面間全長) |
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W |
2,930 mm (最大幅) 2,900 mm (車体幅) |
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H |
4,055 mm (最大高さ:水タンクまで) 3,650 mm (屋根高さ) |
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台車中心間距離 | 14,400 mm | |||||
重量 ( )内はJR四国在籍車の各種改造後の妻面標記による数値 |
39.0 t (37.2 t) |
38.4 t (36.8 t) |
39.0 t (36.9 t) |
38.4 t (36.5 t) |
39.8 t (37.8 t) |
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車体 | 普通鋼 | |||||
機関形式 出力 |
DMF15HSA 220PS/1,600rpm 整備直後(?)でピカピカのDMF15HS ![]() 松山駅にて エンジン単体の画像 シリンダーヘッドは反対側 右端の出力軸の出ている部分はDW10形液体変速機 ![]() 多度津工場にて 冷房駆動用のS4F形サブエンジン 4気筒 ![]() 多度津工場にて |
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変速機 |
DW10 (変速1段・直結1段手動変速) ![]() 変速機には減速機が内蔵されていないため、 車軸側にに減速機が付いている(DT44C) |
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最終減速比 | 2.995 | |||||
ブレーキ方式 |
機関ブレーキ付 CLE |
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ブレーキ装置 | 踏面片押 | |||||
台車形式 |
DT44C ![]() TR227 ![]() |
DT22D ![]() TR51C ![]() |
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許容最高速度 | 95km/h | |||||
冷房装置 | FTUR-300-104 × 2 | |||||
車体構造・客室 | 2扉セミクロスシート | |||||
乗車定員 | 124(座席:76) | 128(座席:80) | 124(座席:76) | 128(座席:80) | 130 |