阿波池田駅 (土讃線)
駅番号:D22/B25

住所徳島県三好市池田町サラダ
開業日1914年3月25日
電略イケ
標高116m
乗降客数 (1989年)3,716人
(1999年)2,608人
(2010年)727人(乗車人員
形態併用3面5線
主な設備 みどりの券売機プラス
ワープ池田支店
セブンイレブン
ちゃみせ(喫茶)

コインロッカー

車deトレイン取扱
駅レンタカー




 高校野球の池田高校で一躍有名になったかつての池田町(現在は三好市)。
 ちなみに高校は駅から小高い丘を登ったところにある。

 阿波池田駅は事実上の土讃線と徳島線の分岐・乗換駅で、国鉄時代から貨物列車も含めた全ての列車が停車する主要駅。
 多くの留置側線や保線区、土讃線のCTCセンターなども備えた比較的大きな駅で、山間の要衝という趣がある。

 徳島線はひとつ東隣の佃が正式な分岐駅(終点)だが、同線の列車は全て阿波池田から発着する。


 かつては、ホームに祖谷蕎麦の立ち食いコーナーもあったほか、栗ご飯などの駅弁も販売していたが、いずれも現在では無くなっている。

 駅舎内には喫茶店もあるが、駅周辺は食事の出来るところがあまりなく、駅前商店街に数店と、駅から東へ徒歩数分の大型ショッピングセンターにいくらかある程度。


 2021年度末に、みどりの窓口が閉鎖されて代わりにみどりの券売機プラスが設置された。


 ホームは片面1本+島式2本の、併用3面5線。
 2010年度に、かつては貨物列車等が主に発着していた1番線に片面ホームが増設された。

 5番ホームのみ5両編成対応、それ以外は全て7両編成対応の長さを持つ。


 下り方場内。

 1〜5番線全てに対して出発信号機がある。


 上り方場内。

 此方も1〜5番線全てに対して出発信号機がある。
 徳島線の列車は、主に3番線を使用。

 5番線の出発信号のみ、ホーム終端部分に隣の留置線用の入換信号機と共に鉄骨フレームに設置されている。(左側下画像)。



 なお、2011年当時は4番線からの上り出発信号機が備えられていなかったが、その後設置された模様。

 2011年3月改正時から使用開始した、増設した1番ホーム。
 上り特急列車は基本的にこのホームから発着し、下り列車でも対向列車が無い場合は1番線から発着する列車が多い。

 これに合わせて、従来の1〜4番ホームが、2〜5番に繰り下がった。

 国鉄時代に比べると少し寂しくなった側線群。

 かつては転車台や機関庫もあった。
 丁度この画像の中央の空いた敷地部分に転車台があったそうである。

 改札付近の様子。

 改札を入ったところ。

 入って正面右手に1番ホームへの階段。
 左に折れると1番ホームへのスロープと、2〜5番ホームへの跨線橋がある。

 スロープを上がったところ。

 エレベーターはまだ無い(2017年12月時点)ので、バリアフリーに完全対応しているのは1番ホームのみ。

 その1番ホームは、かなり狭い。

 最狭部では1.5m程度しかない。


 1番ホームに設置されている、折り畳み椅子。

 往年のファンなら、かつてのブルートレインの通路側にあった折り畳み椅子を思い出すかもしれない。


 民営化直前に造られた跨線橋とその銘板。

 先代の跨線橋は、下り方のホーム端部に跨線橋があった。


 ホーム下り方。端部から20mぐらいのところ。

 ホーム屋根を継ぎ足した形跡と、ホームには跨線橋の足場があった痕跡が残る。


 島式の2/3番ホームは、跨線橋部分から上り方については、ホームのおよそ2/3の幅の部分だけに屋根が設置されている。

 2番ホームは土讃線特急が発着するのに対して、3番ホームはもっぱら徳島線の列車が発着することから、優等列車が恒常的に停車する部分だけ屋根を設置することでコストを抑えたものと推察され、新居浜駅の2/3番ホームでも同じような形態の屋根が設置されている。

 2/3番ホーム中程には、昔懐かしい水飲み場がある。
 ・・・が、もちろん既に使用停止状態となっていて水は出ず、ほぼ単なるオブジェとなっている

 4番ホームの延長部分。

 4/5番ホームにある、かずら橋のミニチュア。
 大歩危駅のホームにあるのとほぼ同じようだが、こちらの方が手入れが行き届いているように見受けられる。


 なお、画像奥にある「祖谷峡・大歩危峡」の観光標柱は2011年以降(正確な時期不明)に撤去され、今はもう無い。



 駅名標。

 電照式吊り下げタイプとホームから「生えて」いる建植式のほか、現在の1番ホーム増設時に新たに壁掛けタイプも登場した。
 このうち、壁掛けタイプはホログラム調になっている。

 駅舎の西側にある建物は、土讃線のCTCセンター。


 その出入口前には、国鉄CTC発祥地の石碑が建っている。


(参考)保育社刊「国鉄の車両 〜四国各線〜」40項より → 


 遅くとも2008年までは、JR化後に制定された最初期様式の吊り下げ式駅名標が健在であった。


※2008年4月6日撮影



 1997年当時の様子。

 旧跨線橋跡部分の屋根はまだ無い。


※1997年6月8日撮影



 1989年当時の様子。

 既に跨線橋は建て替えられ、ホームも既に現在のように綺麗に整備されていた。
 土讃線では、出入台ステップを廃止した2000系TSEの導入に合わせて、特急停車駅の低い汽車用ホームを気動車用ホームに嵩上げする工事を行っており、阿波池田もその際に整備されたものと思われる。


 駅舎側の貨物側線3本は既に国鉄時代末期(1986年11月改正)の貨物扱い廃止で使用されなくなっていた。
 また、↓旧国鉄時代の1985年10月撮影画像に写っているセメントサイロが、この時点ではもう既に撤去されているのが判る。


※1989年5月6日


場内下り方の跨線橋

 かつて、下り方場内の踏切のあたりに立っていた跨線橋。
 詳細な時期は不明だが、2011年4月以降、2014年4月までの間に撤去されている。


※2011年4月17日撮影

 跨線橋の下り方には、入換信号機が架設されていた。


※1986年5月5日撮影

 その入換信号機の銘板。
 三工社製で昭和41年製造と読み取れる。


※2011年4月17日撮影


国鉄時代

 駅に到着する上り普通列車から構内を望む。
 この頃はまだ先代の跨線橋を使用中。

 跨線橋は既述の通り国鉄末期1986年度末に建て替えられた。


※1986年5月5日撮影

 国鉄時代の重厚な駅名票。


※1986年5月5日撮影

 国鉄時代の阿波池田駅2番ホームに停車中の、徳島線快速列車。
 3番ホームから下り方を望む。

 ご覧のように、国鉄時代は下り方のホーム端に跨線橋があったのだが、その後取り壊されて、現在のようにホーム中央付近に新しい跨線橋が造られた。


※1985年10月16日撮影

 1番ホーム(=2番線)から発車する、50系客車列車(土讃本線226列車)。
 左には、貨物用の1番線と貨物ホームなどが見える。

 マニ50形の背後に見えるのは、大阪セメント社のタンク。


※1985年10月16日撮影

 1985年当時のかずら橋のオブジェと、当時よく見られた周遊指定地の観光案内標柱。
 標柱は今はもう無いが、かずら橋のオブジェは、現在もこの当時と同じ位置に存在している。


※1985年10月16日撮影

 かつて3/4番ホーム(当時:現在の4/5番ホーム)にあった、立ち食い蕎麦コーナー。


※1985年10月16日撮影


専売公社工場 専用線跡

 かつては駅の東側に専売公社の工場があり、専用線が伸びていた。
 線路跡の一部は現在は舗装路になっている。


※2020年5月7日撮影:以下全て同じ

 土讃線の線路に沿って阿波池田駅から伸びてきた専用線は、この踏切のあたりでスイッチバックしてから専売公社工場へ入っていた。

 スイッチバック地点。

 かつてこの線路脇に店を構えていた醤油店が、この線路を使用して醤油の出荷等を行っていたという。


天真株式会社様公式サイト (ページ下方に専用線の様子を撮影した画像あり:新規ウィンドウで開きます)

 スイッチバックした専用線跡はカーブを描いて・・・

 そのまま、ショッピングセンターの裏手に吸い込まれていく。

 現在のフレスポ池田の敷地全てが、かつては専売公社の工場であった。





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