<概況>
日本の首都東京と高松を結ぶ夜行寝台特急。 1998年7月に新型寝台電車285系化されて、寝台は全て個室となった。 現在は1往復のみで、JR西日本保有の285系0番台車と、JR東海保有の同3000番台車が使用されている。 東京〜岡山間は出雲市行の「サンライズ出雲」と併結運転となり、共通運用を組む。 終戦後まもなく誕生した愛称無し急行列車をルーツとし、70年に渡って四国連絡の使命を負って走り続けている、四国島民にも馴染みの深い伝統のある列車名である。 個人的に、夜行列車の醍醐味の一つに「日の出が見れる」というのがあると思うが、この列車の場合は、下り列車の瀬戸大橋通過時と上り列車の熱海発車後がお薦めである。 (下り列車) 現在のダイヤでは、下り列車の児島発車時刻が7:09で、高松および宇野の日の出が7:10〜7:15頃に、丁度瀬戸大橋を渡るときに日の出を見ることが出来る。 この時期は、概ね冬至の前後10日〜2週間ぐらいの時期であり、実は元日頃が一番の見頃となっており、当日晴れていれば瀬戸大橋上で初日の出を見ることが可能。 (上り列車) 熱海を発車して暫くすると、真鶴・湯河原といった海岸沿いの崖上を走行する区間となり、ここから眺める水平線から昇る朝日は絶景といえる。 上り列車の熱海発車時刻は現ダイヤで5:45で、ちょうど春分および秋分の日前後に熱海の日の出時刻とかぶるので、この前後の時期がお薦め。 蛇足ながら、客車ブルートレイン時代は九州方面行の著名かつ豪華編成の列車群の陰に隠れて目立たない存在であったが、表定速度(走行距離を所要時間で割った速度)だけは、1972年3月のブルートレイン化以降、1998年7月のサンライズ化までの間、一貫してブルートレインの中では最速列車として君臨していた。 (ケイブンシャ刊 「特急ものしり大百科」(1982年11月刊行)」より) (ケイブンシャ刊 「特急大百科」(1985年9月刊行)」より) ちなみに、もっとも表定速度が速かった頃は、東京〜高松間10時間31分運転で、表定速度は76.5km/hに達し、当時の他の四国島内の多数の昼行特急を上回っており、また歴代のブルートレインの中でも今なお最速記録である。 なお、現在の「サンライズ瀬戸」は表定速度は軽く80km/hを超え、”寝台特急列車”としては日本の歴史上でも最速列車となっており、2021年3月改正時点では四国内を走る列車の中でも最速である。 |
<HISTORY> (急行時代) 「サンライズ瀬戸」の前身である「瀬戸」の歴史は非常に古く、1950年4月1日に設定された東京〜宇野間の急行列車がそのルーツである。 当時はまだ列車愛称は無く、さらに岡山〜宇野間は普通列車に併結という扱いであった。 同年10月1日のダイヤ改正で全区間急行列車となり、翌1951年12月2日に「せと」と名付けられた。 東京〜大阪間は、大社行急行「いずも」(福知山線経由)を併結していた。 この当時は、「せと」で宇野まで行くと、連絡船を介して高松からは宇和島行の準急「せと」に接続するダイヤとなっており(上りも同様)、この体系は四国側の「せと」が1968年10月改正で「うわじま」化されるまで続いた。 (交通公社時刻表1956年11月号より) 1956年11月19日改正で、四国側の「せと」と区別のために漢字書きの「瀬戸」に変更され、晴れて全区間単独運転となった。 (交通公社時刻表1956年12月号より) 1959年までの間に、A寝台車や食堂車も連結され、四国連絡急行列車としての体裁を整えていった。 この間、東海道新幹線開業に伴う1964年10月1日改正で、「瀬戸」の補完列車として急行「さぬき」が1往復登場した。 当時の「瀬戸」が座席車を組み込んでいたのに対し、「さぬき」は寝台専用列車で、しかも登場当初の下りは高松からの四国内の優等列車の接続が無く、まさに讃岐国へ向かうための列車であった。 1968年10月1日改正での全国的な列車名統合の中で、同じ区間を走っていた「さぬき」を吸収して2往復体制となった。 1971年秋から、2往復あるうちの1往復に、当時最新型の14系寝台車が連結されるようになった。 これは、寝台幅を広げた新型三段式寝台車の試験運用を兼ねていたものだが、当時旅客には大好評を持って迎えられた。 (特急化以降) 1972年3月15日改正では、当時動くホテルと呼ばれた20系客車(品川客車区所属)の投入によって特急に格上げされ、ブルートレインの仲間入りを果たしたが、運転本数は1往復に減らされた。 当時の「瀬戸」は急行時代の伝統を受け継いでA寝台車や食堂車が連結された豪華編成であった。ただし食堂車は非営業で、それも後年は連結されなくなった。 ちなみに、設定当時の上り「瀬戸」は宇野〜東京間10時間20分運転で表定速度は74.1km/hとなり、ブルートレインの中では表定速度最速列車となっている。 以降、1998年にサンライズ化されるまで26年間、「瀬戸」はブルートレインの中で表定速度最速の座を守り続けた。 1977年9月に下関運転所所属の24系25形客車に置き換えられた。この時からA寝台や食堂車の連結が廃止され、二段式開放B寝台のみのモノクラス編成となってしまった。 連絡船桟橋横の留置線で昼寝中の「瀬戸」
なお、24系化以降の「瀬戸」のカニ24形は基本的に貫通路付きの100番台車が 充当され、このように0番台車が運用に入るのは珍しい。 1980年3月14日 宇野線 宇野駅 1114号機牽引で宇野に到着した<下り>瀬 戸 1985年8月4日 宇野線 宇野駅 昼間に宇野線快速や連絡船で宇野駅に着くと、必ずこの留置線には「瀬戸」がいた それを見るのもまた、宇野乗り換え時の楽しみの一つであった 1987年4月 宇野線 宇野駅 1988年4月10日の瀬戸大橋開通時のダイヤ改正で念願(?)の四国乗り入れを果たし、東京〜高松間の運転となり、四国に乗り入れる唯一のブルトレであると同時に、全国でも唯一の海を渡るブルトレとなった。 この当時の下り「瀬戸」は東京〜高松間10時間31分運転で、表定速度は76.5km/hとなり、当時四国内を走行する列車としては表定速度最速であった。 また、歴代のブルートレインの中でも全区間表定速度が75km/hを超えたことがある列車は「瀬戸」のみである。 (JR時刻表1988年8月号より) 1990年3月10日改正でA寝台車が復活、ラウンジカーも連結されて質的改善が図られた。 客車時代の「瀬戸」の一人用個室A寝台・シングルDXの室内(オロネ25形300番台車) 向かって右側には、洗面所とTVモニタ、それにVHSデッキがある。ベッドは介助ベッドのように、通路側の半分が電動で起き上がるようになっている。 この車両は、「瀬戸」電車化後は「あさかぜ」「日本海1/4号」「あかつき(14系化改造)」などに使用されたが、JR西日本管内のブルトレ全廃に伴って全て廃車となった。 また、ラウンジカーについては通常タイプの他、オハ12形から改造されたパンタグラフ搭載の電源車を兼ねた車両(スハ25形)もあり、通常はこちらが使用された。 これは、電源車組み込みの14両編成では高松駅のホームに収まりきらないため、編成短縮の効果を狙った措置であったと思われる。 1109号機牽引の<下り>瀬 戸
スハ25形組み込みの13両編成 予讃線 鬼無〜端岡間 1991年9月16日 1114号機の牽く<下り>瀬 戸 こちらはカニ24形組み込みの14両編成 予讃線 鬼無〜端岡間 1992年8月26日 サンポート港頭地区再開発の関連で更地化の進む高松駅横(旧航送線等の跡地)で留置中の「瀬戸」 (職員立ち会いのもと許可を得て撮影) 予讃線 高松駅 1996年4月28日 1105号機の牽引する、電車化を目前に控えた東京行<上り>瀬 戸 東海道本線 茅ヶ崎〜平塚間 1998年7月8日 1998年7月10日から、それまでの客車編成から、新型285系寝台電車に置き換えられた。 1999年7月から、多客期に限り高松〜松山間臨時延長運転を開始。 その際、パンタグラフの折り畳み高さ(4,140mm)が、予讃線愛媛県内区間の高さ制限(4m以内)をクリアしていなかったため、パンタグラフの改造工事を行っている。 なお、この臨時延長運転は2009年シーズンまで行われたが、その後は実施されていない。 臨時松山延長で雲に隠れた石鎚山を背に小松カーブを行く<下り>「サンライズ瀬戸」
予讃線 伊予小松〜玉之江間 1999年8月25日 松山まで臨時延長運転、運転停車で「しおかぜ+いしづち」と交換する、<下り>サンライズ瀬戸 予讃線 伊予桜井駅 2003年8月10日 観音寺を発車して柞田川にかかる橋梁に向かう<下り>「サンライズ瀬戸」 予讃線 観音寺〜豊浜間 2005年8月15日 2006年3月18日改正では、客車「出雲」の廃止の影響で、鳥取方面の利用者の救済のため、新たに設定された臨時「スーパーいなば」(毎日運転)に接続するため上郡に停車するようになった。 姫路駅高架切替に伴う時刻変更により、児島で後続の「南風3号」との
2009年の年末年始では、松山臨時延長は廃止され以降の運転は無くなった。接続待ちを兼ねてに追い越される「サンライズ瀬戸」 本四備讃線 児島駅 2006年3月26日 臨時延長で津島ノ宮付近を行く<下り>サンライズ瀬戸 予讃線 津島ノ宮〜詫間間 2009年8月17日 2010年3月13日改正で、早朝深夜の臨時「スーパーいなば」が廃止されたため、再び上郡は通過となっている。 岡山駅で「サンライズ出雲」を連結
堂々14両編成で、雨の中で発車を待つ <上り>サンライズ瀬戸 山陽本線 岡山駅 2011年4月30日 「サンライズ出雲」(右側)との連結作業 山陽本線 岡山駅 2012年5月5日 2014年秋から、琴平までの臨時延長運転が開始された。 2015年の夏〜秋期は連休以外にもほぼ毎週末運転されている。なお、臨時延長は往復存在する場合と、下りのみの延長で上りは通常通り高松始発となる場合があり、その都度確認が必要である。 また、高松〜琴平間では専用の方向幕が用意されている。 琴平到着後に高松まで回送されるサンライズ 土讃線 善通寺〜琴平間 2015年10月12日 琴平乗り入れ時の方向幕 土讃線 善通寺駅 2016年3月20日 延長運転で琴平に向かう途中で、前夜に吹田で追い越した71レとすれ違う 予讃線 八十場駅 2016年5月15日 琴平からの回送途中での2000系とのすれ違い 予讃線 讃岐塩屋〜多度津間 2019年7月15日 (左は「南風3号」) 2020年3月14日改正では、特に変更は無い。 2021年3月13日改正では、下りの東京発車時刻が10分繰り下げとなり、ささやかながら利用しやすくなった。 2022〜2024年の改正では、特に変更はない。 |
<私見>
1998年7月に開放室主体の客車編成から、寝台の全個室化を達成したが個人的にはむしろ遅すぎたとさえ言える。現状はJR西日本・東海の保有する車両によって運転されているが、1本程度はJR四国も保有するべきである。 また、現状では坂出・高松での松山・高知・徳島方面への乗り換えの手間が解消されておらず、しかも編成が7両と短い上に松山まで延長運転される事も結構あるため、繁忙期は特に予約が取りにくい。 個人的な理想像としては、東京〜四国間夜行特急は2本運転するべきで、松山行4両+高知行3両に切って東京〜岡山間は下関行「サンライズあさかぜ(仮称)」と併結、下り東京発21時/上り東京着7時半程度とし、もう1本は高松行7両として東京〜岡山間は「サンライズ出雲」との併結にして、ダイヤはほぼ現状でOKであろう。 東京〜松山(とまでいかなくても、せめて今治)・高知間は有効時間帯に入れるためにも出来れば11時間以内の到達を目指すべきで、そうなると現在の285系ではやや性能不足である。 逆に有効時間帯外にまで跨って運転するのであれば、ラウンジなどのフリースペースをもっと充実させるべきであり、どちらの方法で運転するにしても、285系程度の車両では性能面でも設備面でも実に中途半端である。 将来的には結構課題の多い列車といえ、285系も既に落成から四半世紀が過ぎようとしており、後継車種がどうなるのか、気になるところである。。 |