<「L特急」とは?>
そもそもL特急とは、旧国鉄時代の1972年10月2日ダイヤ改正において、昼間に運転する在来線特急列車の中で、一定の条件を満たした列車について、知名度とイメージの向上を図るためにニックネームとして付与したものであり、正式な列車種別としては通常の特別急行列車の一員となる。
「L」を図案化したシンボルマークも作られ、時刻表や行先方向幕、また後年ヘッドマークが図案化された際にはヘッドマークにも表示された。
なお、日本交通公社の時刻表では10月号の掲載には間に合わず、11月号からの表記開始となった。
L特急の「L」は特に決まった意味はないが、特急 (=特別急行)Limited Express) や直行便 (Liner) の頭文字でもあり、また lucky, lovely, light, Little 等のイメージの良い単語が多いことが採用理由とされている。
L特急の指定にあたっては、主に以下のような条件を満たしていることが基準とされた。
「かっきり発車」
毎時00分または1時間毎、あるいは決まった時分に始発駅を発車する。
「本数自慢」
運転本数が多い(概ね3往復以上)。
「自由席車連結」
普通車自由席車を連結している。L特急設定当時の特急列車は全席指定の列車が多かった。
つまり、いつでも気軽に急に思い立ったときに乗車できる特急列車という意味合いがあり、その点では現在の特急列車大衆化の嚆矢とも言えるものかもしれない。
1972年10月改正で初めての「L特急」として指定されたのは以下の9列車だった。
「ひばり」 上野〜仙台
「とき」 上野〜新潟
「ひたち」 上野〜仙台 ほか
「わかしお」 東京〜安房鴨川
「さざなみ」 東京〜館山
「あさま」 上野〜長野
「つばめ」 岡山〜熊本
「はと」 岡山〜下関
「しおじ」 新大阪〜下関
その後もダイヤ改正毎にL特急は数を増やし、さらに1978年10月ダイヤ改正からは電車特急と寝台特急のヘッドマーク(テールサイン)がイラストマークに変わり、L特急には「Lマーク」が表記された。
1980年代が最盛期で、1980年10月改正時点で25、1985年3月改正で28、1986年11月改正で31、そして1988年4月改正では36にまで増えた。
しかし、特急列車の大衆化が進むに従ってL特急とそれ以外の特急の区別が難しく、また地域によっては事実上ほぼ全ての特急がL特急の条件に合致するケースも出現するなど、その名称の存在意義自体が徐々に薄れてきた。
結果、まずJR四国が1997年11月改正から、またJR東日本が2002年12月1日改正から「L特急」の呼称を廃止した。
ついでJR九州が2008年7月号の市販の時刻表より呼称を廃止、JR西日本も2010年3月改正を持ってとりやめた。
さらにJR北海道が2017年3月改正から、最後に残ったJR東海も2018年3月改正を機に呼称を廃止し、「L特急」の歴史は幕を閉じた。
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<四国の「L特急」>
四国で初めてのL特急は、1986年11月1日ダイヤ改正において、予讃本線 高松〜松山・宇和島間の特急「しおかぜ」がキハ185系の投入によって従来の4往復から一挙に13往復に増発されたのを機に指定されたのが最初である。
同改正を機に、「しおかぜ」のヘッドーマークについても基本デザインはそのままで、L特急マークが追加された物に変更された。
エル特急マークの追加されたヘッドマーク
(改正前)
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(改正後)
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瀬戸大橋開通に伴う1988年4月10日改正では、新たに「しおかぜ」とともに岡山発着に変更された「南風」のほか、今改正で登場した高松発着の「いしづち」「しまんと」や、高徳線の「うずしお」も「L特急」に指定され、新しくデザインされたヘッドマークにも「Lマーク」が表記された。
2000系量産車投入に伴う1990年11月21日改正において、四国内の全ての特急列車のヘッドマークデザインが一新されて、ヘッドマークからは「Lマーク」の表記は無くなってしまったが、在来のキハ181/185系の電照タイプの側面方向幕には「Lマーク」の表記が残った。
また、このとき登場した特急「宇和海」「あしずり」もL特急指定であった。
キハ181系の特急「あしずり」
ヘッドマークからは「Lマーク」は消えたが、方向幕にはまだ表記されていた
土讃線・高知駅
1993年2月14日
1997年11月29日改正をもって、JR四国は「L特急」の呼称をやめて「Lマーク」の表記も全て廃止し、四国における「L特急」の歴史はわずか10年あまりで終了した。
JR四国が独自に発行しているポケット時刻表や駅の掲示、また駅窓口等で配布される時刻表からも、「L特急」のマークは全て消えた。
しかし市販のJTB時刻表やJR時刻表などには、その後も2011年2月号まで「L」マークが表示されたままで掲載されていた。
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<考 察>
上記のようにJTBやJRの大判の時刻表などにおいては、四国の「L特急」の表記は2011年3月改正号から無くなっており、一般にはそのときに廃止と認識されることが多い。
しかし、JR四国が独自に発行・販売しているポケット時刻表や列車の方向幕、駅の掲示などでは、上述の通り1997年11月改正をもって表記をやめており、正式にはこのときに廃止したと見るべきではないかと考えられる。
JR四国が発行しているポケット時刻表より
| 1997年3月改正号 | 1997年11月改正号 |
表紙と本文 |  |  |
列車編成表 |  |  |
11月改正号から、四国内の全ての特急から「Lマーク」が消えている。
側面方向幕についても同様で、例えばキハ185系の特急「うずしお」の幕を見ると、
1996年4月には表記されていた「Lマーク」は2003年には既に無くなっている。

予讃線 高松駅
1996年4月28日 |

予讃線 高松駅
2003年10月5日 |
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なお、1996年3月改正で3往復が登場した特急「剣山」は当初からL特急に指定されていない。
2000系や8000系の場合は、当初から側面LEDのみならず、車内に設置されたLED案内表示器でも「L(エル)特急」と表記されたことは無く、2000系量産車登場時にデザインが変更されたヘッドマークから「L特急マークが消えたことからも、今思えばこのとき既にJR四国は近い将来に「L特急」の呼称をやめる気だったのかもしれない。
四国の場合は特急誕生が1972年と遅く、エル特急に至っては国鉄分割民営化直前の1986年にようやく登場するなど、そもそもエル特急に対する馴染みが薄かったこともあり、JR発足から10年ということで、キリが良いからやめようか、となったのではないかと想像される。
JR四国発行の広報パンフレット「JR四国 NEWS」などに、なんらかのプレスリリースがあった可能性はあるが、当方手持ちの資料の中には残念ながらそれについて確たる記述を見つけることは出来ない。(何故か当方手持ちの「JR四国 NEWS」もちょうどその時期の号が抜けていて、記載されていたかどうか不明)
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