徳島駅 (高徳線)
駅番号:T00/M00

住所島県徳島市寺島本町西一丁目
開業日1899年2月16日
電略トク
標高2m
乗降客数 (1983年)12,969人(乗車人員
(1985年)12,602人(乗車人員
(1989年)23,564人
(1999年)19,794人
(2010年)8,328人(乗車人員
(2014年)16,134人
(2017年)8,112人(乗車人員
形態併用2面4線
主な設備 みどりの窓口
ワーププラザ
セブンイレブン
ウィーリーウィンキー
そごう徳島店
etc..

エレベーター
コインロッカー

パーク&ライド取扱
駅レンタカー




 高徳線最大のターミナル、徳島駅。
 1899年に私鉄の徳島鉄道の駅として開業。1907年に国有化された。

 高徳・徳島・牟岐・鳴門の4路線の列車が発着し、発着列車本数・乗降客数共に松山・高知を遥かに凌ぎ、JR四国内では高松に次いで第2位の本数&乗降客数を記録している。

 現在の駅舎は、1992年にJR四国の駅では初めてという複合ターミナルビルとして生まれ変わったもので、中央の高い部分にJR四国直営のホテル・クレメント徳島が入居しており、駅ビルとしてはコトデンの瓦町駅や伊予鉄の松山市駅と並ぶ四国最大級の規模を誇る。
 駅に隣接して徳島運転所が併設されている。
 かつては駅弁も販売されていたが、2016年に終了している。


 かなり昔から高架化の計画があるが、まだ具体的な動きはないようだ。


 駅前のバスターミナルは四国有数の規模を誇り、昼間は決してバスの出入りが途切れることがなく、活気に溢れている。


 改札付近の様子。

 右手にキヨスク、左手に自動券売機。
 奥のセブンイレブンはホーム側にも窓口が設けられている。

 みどりの窓口と旅行センターは、撮影者背後の通路を左に行ったところにあり、少々離れている。

 改札を入って振り返る。

 改札を入って左折すると、1番ホームへの通路の途中に、鉄道警察隊派遣所がある。

 ホームは切り欠きの1番ホームを含めて片面+島式の2面4線。

 切り欠きの1番ホーム。
 長さは4両編成対応。

 かつては、佐古側の行き止まりホームはコの字形に2本あったが、それらは全て駅ビル建設に伴って撤去され、新たに片面の1番ホームが新設された。

(↓2番ホーム側から)

(↓3/4番ホーム側から)

 コンコース内には跨線橋が2つある。

 こちらは、改札を入って左手(佐古側)にある跨線橋。
 おそらくは初代から数えて4代目の跨線橋と思われ,、梁部にH方鋼が使われ、階段踊り場があるなど比較的近代的な設計。
 銘板類が見当たらないので竣工年月が不明だが、交友関係諸兄の所有資料等により、1975〜76年の竣工と思われる。

 元々は佐古側へ降りる階段(「2番ホーム側から」見た画像の左へ降りていく階段)は無かったが、1990〜91年頃の旧1〜2番ホームの撤去及び仮設の駅舎&1番ホームの設置に合わせて増設された。

(↓2番ホーム側から)

(↓3/4番ホーム側から)

 こちらは、改札を入って右側(阿南側)、エレベーターの併設されている跨線橋。

 こちらの方が古レール使用のトラス組となっているなど建設年次が古く、若干幅も狭く階段途中の踊り場が無い。
 下記の通り、現在の3/4番ホーム佐古方端部付近に初代跨線橋があり、此方は3代目として建設されたものと思われる。


 徳島駅の跨線橋は、国土地理院の空撮画像等から明治32年開業時に佐古方に初代が建てられた後、阿南方のホーム端に2代目が建てられていた形跡がある。
 さらにその2代目は遅くとも1960年代に撤去されて、現在のこの跨線橋が建てられている様子が画像から伺える。


 3/4番ホーム側は本来はホームへの降り口が2つあったが、下り方(阿南側)の方はエレベーター設置に伴って閉鎖され、現在は資材庫として使用されているようだ。


 現在の3/4番ホームの下に埋まっている、古いレンガ積みのホーム。
 ホーム延長の痕跡もくっきり残っている。


 2番ホーム側も以下同文。

 現在もわずかに残る、下り方の旧貨物ホームの遺構。

 駅から佐古側の場内を望む。

 駅から2つ佐古側にある踏切から駅構内を望む。

 同じ踏切から佐古側を望む。

 8連の場内信号機のほか、1番ホームと運転所間をスイッチバックする際の停止位置標識が徳島線側のレール脇に設置されているのが判る。



 佐古側の本線を跨いで設置されている場内信号機。

 高徳線用と徳島線用それぞれに4基づつ、合わせて8基の信号が並ぶ様は壮観。


 しかし、2001年当時(→)と比べて右から2本目の支柱が少し傾いているのが気がかりではあるw

 駅ホームから下り方を望む。
 4番ホーム隣の5番線にも出発信号機が備えられている。

 本線左側に徳島運転所の留置線がしばらく並行する。

 駅南東の構内終端付近から下り方を望む。


 駅名標。

 切り欠き行き止まりの1番ホームの駅名標は片方が空白表示になっている。




 この2019年当時は、3/4番ホームの佐古側の外れに、錆び付いた古い街灯と跨線橋用と思われる柱が残っていた。

 意図的に残していたものと推察されるが、どうせならもう少し綺麗な状態で残しておきたいと思うのは小生だけではないはず。


※2019年2月23日撮影

 柱の文字を読めるレベルまで拡大。

 鉄道作業局神戸工場で明治32年に製造されたものと読み取れる。
 徳島駅の開業が1899年(明治32年)なので、その当時の物であろうと思われ、当駅の初代跨線橋はこの場所にあったものと推察される。


※2019年2月23日撮影

 しかし、これらは結局全て撤去されてしまった模様である。


※2023年5月12日撮影









 2008年当時の様子。


 駅名標は、この時点までは丸ゴシック体+縦長矢印のJR四国初代様式後期タイプであった。


※2008年5月22日撮影

 2003年当時の駅ビル。


※2003年9月18日撮影


 2000年当時の様子。


※2000年1月31日撮影

 1997年当時の駅ビル。


※1997年9月22日撮影


徳島運転所
(2020年撮影)


 駅のすぐ横に広がる徳島運転所。
 現在は1000形と1200形と1500形、それにキハ40系などがここをねぐらにしている。

 配置車両はローカル用車両のみであるが、特急用車両の停泊や停留もある。

 ターンテーブルも、まだ使用可能な状態。


 駅のすぐ横に留置線と建屋・ターンテーブルなどがあるほか、駅の少し南東側にも留置線と洗浄線などがある。
(2019年撮影)


(2010年撮影)
(2008年撮影)



国鉄時代〜民営化直後

 民営化直後の頃の徳島駅。
 今は無い行き止まりホームで並ぶ、急行「阿波」と急行「よしの川」。

 当時の徳島駅は2面5線で、これ以外にもこの反対側(向かって撮影者の背中側=阿南側)に行き止まりの貨物ホーム(旧0番ホーム)があった。

 現在、この場所には駅ビル及び駐車場が建っている。


※1987年4月9日撮影

 先代の徳島駅舎。


※1985年5月26日撮影

 国鉄時代の徳島運転所(当時は徳島気動車区)。

 キハ20系と50系客車が当時の主な「住人」だった。
 元々客車は旧小松島客車区の配置であったが、小松島線の廃止に伴って徳島に転属していた。


※1985年5月26日撮影





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