かつての内子線の分岐・起点駅。
もともと1918年に愛媛鉄道として開業した当初は、内子線は伊予大洲から分岐しており、当駅も単なる中間駅であったが、1935年の国鉄・予讃線の開通に伴って、起終点の向きを予讃線に合わせるため、内子線の起点が五郎に改められた。
しかしその後、1986年3月の内子バイパスルートの開通に伴い、新谷から伊予大洲(伊予若宮信号場)へ取り付く新線が作られるとともに、内子線の五郎〜新谷間は廃止の扱いとなり、当駅は再び分岐路線の無い中間駅となった。
駅前には住宅と商店がいくつか並び、県道を挟んですぐ肱川が流れている。
|
|
現在は片面1面1線のみが残る。 |
|
今も残る、旧2/3番ホームだった島式ホーム。
|
|
島式ホームに残る、予讃線の245.5kmのキロポスト。
すぐ横には、駅名票などが建っていた跡と思われる基礎も残る。 |
|
かつての構内通路の痕跡。
1番ホーム側の階段を埋めた跡や、乗り場案内のペイントも残っている。
|
|
構内は結構広く、側線も何本かあった。
|
|
上り方の場内を望む。
画像右端のあたりに、2005年頃まではSL時代の給水塔が残っていた。
|
|
線路は全て撤去されているが、保線用の資材置き場となっている、元の貨物扱所の跡。 |
|
広い構内に昔日が偲ばれる。
|
|
今となっては無駄に広い、元の駅舎跡地と駅前広場。 |
|
駅名標。 |
|
|
2008年当時の様子。
※2008年4月13日撮影 |
|
2002年当時の様子。
SL時代の給水塔はこの頃まではまだ残っていた。
この後、遅くとも2008年までには撤去された。
※2002年9月18日撮影 |
|
1997年当時の様子。
まだ構内に給水塔が残り、構内通路の跡もはっきりと見て取れる。
※1997年6月7日撮影 |
|
|
| |