高松駅 (予讃線)
駅番号:Y00/T28


住所香川県高松市浜ノ町
開業日1897年2月21日
電略カマ
標高2m
乗降客数 (1983年)14,202人(乗車人員
(1985年)13,923人(乗車人員
(1989年)31,368人
(1999年)28,682人
(2010年)12,154人(乗車人員
(2012年)12,117人(乗車人員
(2014年)24,648人
(2017年)12,941人(乗車人員
形態櫛形4面9線
主な設備 みどりの窓口
ワープ高松支店
セブンイレブン
リトルマーメイド(ベーカリー)
高松駅弁
高松オルネ
etc.

自動改札
完全バリアフリー
コインロッカー

パーク&ライド取扱
駅レンタカー




 JR四国線の起点である高松駅は、1997年2月に開業100周年を迎えた。

 現在の駅舎は2001年5月13日にオープンした4代目(※)で、延べ床面積は約9,100平方m。ガラス張り吹き抜けのある明るくモダンで優美な駅舎に生まれ変わった。
 加えて駅出入口からホームまでの間は、階段や段差を廃した完全なバリアフリー構造となっている。
 これらが評価され、2002年10月から11月にかけ、「鉄道建築協会作品賞 国土交通省鉄道局長賞」と「交通バリアフリー優秀大賞(ターミナル部門)」の2つの賞を受賞した。

 1〜9番までの9本のホームを擁し、1日あたりの列車発着本数は約350本を数え、ホーム番数/発着本数/乗降客数ともJR四国の駅では突出してNO.1となっている。


 駅弁の種類も多く、「あなご飯」「讃岐五目ずし」「牛めし弁当」がお薦め。
 プラットホームには、讃岐うどんの立ち食いコーナーもある。

 手荷物一時預かり所では、携帯ストラップやチョロQなどの鉄道グッズを販売しているが、種類はあまり多くはなく、ささやかなもの、、、もっと大々的に売っても良いと思うのだが・・・

 3代目駅舎の頃から続く「地下駐輪場100円レンタサイクル」は現駅でも健在。

 また、3代目駅舎と共に一時的に姿を消していた、名物の花時計も復活しているが、設置角度等の関係で高松駅舎とともに撮影するのは難しい。
 花時計の隣には砂浜を再現した池(のようなもの)があり、実際に海水を引き込んで波を作ったりしている(海草も生育している)。

 改札を出てから真っ直ぐ駅舎を抜けると、左手に一般路線バスのバスターミナルが、駅舎の南側に隣接して高速バス乗り場があるほか、駅舎正面から真っ直ぐ100mほど行くと、小豆島や女木島、宇野方面へのフェリーターミナルがある。


 1897年2月21日に、讃岐鉄道の駅として現在の高松市扇町(県立盲学校のあたり)で開業した。
 1910年6月宇高航路が開業したのを機に、7月にほぼ現在の位置に移転するとともに2代目駅舎の使用を開始した。
 1924年8月1日、高松駅構内の扱いで、海寄りに300mほど離れた場所に高松桟橋駅が開業。
 1959年9月15日に高松桟橋駅の場所に移転するとともに、鉄筋5階建ての3代目駅舎が竣工した。
 2001年5月13日から、正式に現在の場所(ほぼ2代目高松駅の場所)に移転して、現在の4代目駅舎の使用を開始した。


(※)
 JR四国の公式見解としては、先代の仮駅舎を世代数に含めず、現在の駅舎を4代目としているようである。
 根拠=高松駅4代目駅舎開業10周年記念オレンジカード、ほか


仮駅舎時代
(駅移転工事期間中:1997年12月〜2001年5月)

3代目駅舎時代
(1997年12月以前)


 櫛形に4本の両面ホーム(うち1本は切り欠きあり)が並び、1〜9番までの9本のホームを持つ。もちろん、その他の民鉄も含めて四国内では突出した規模を誇る。

 高松は私鉄も含めて四国随一のターミナル。
 全てのホームが列車で埋まる瞬間は思わず興奮してしまうw

 ずら〜っと頭を揃えて並んだ7本の列車群。

 写真には写っていないが、画像右手の9番線には「マリンライナー」が、さらに2番ホームにも各駅停車が停まっており、このときは9本のホームが全て埋まっていた。

 1500形、2000系、121系、5000系、8000系、そして113系と揃った列車群。

 高松では、JR四国の保有するほぼ全ての車両を見ることができる。



 なお、2018年2月頃に頭端部側の列車が停まらない部分に柵が設けられてしまったため、現在は綺麗に見通して撮影することは不可能となっている。

 2018年3月8日時点では、8番ホームを除いた全てのホームに設置されている(8番ホームについても後日設置された)。

 切欠ホームの2番ホームから。
 右端は、1番ホームから発車した1500形2連の三本松行き各駅停車。

 1〜3番ホームは基本的に高徳線専用のため、架線が張られていない。ただし、3番線は予讃線方面への出発信号機も備えるため、同線の列車の発着自体は可能である。

 9番ホームには機回線がある。

 ポイントを渡る際に車両が接触しないよう、ホーム側も曲線状に削られている。

 終端駅を象徴するホーム端の車止め。

↓4番線の微妙な勾配

 4番ホームは、かつて発着していた旧国鉄時代のステップ付きの気動車に対応するために、他のホームよりも線路面が若干嵩上げされ、ホーム高さが線路面から920mmになっている。
 5〜9番ホームは、線路面高さ1,100mmの電車専用ホームになっている。

 逆に言うと、4番ホームに発着するときは相対的に車両のステップが高くなるわけで、よく利用している人なら、この違和感に気づいている方もおられるかもしれない。

 実際に7200系を例にして、4番ホームと8番ホームの高さを比較すると、このような感じになる。
↓1番ホーム

↓2番ホーム

↓3番ホーム

 同じ理由で、1〜3番ホームについても同様にキハ47形のステップに合わせた高さ(線路面上920mm)になっている(左画像上)ため、1200形や1500形、2700系などでは出入台ステップが高くなってしまう(同中〜下)。

 ただし、こちらは4番線とは異なり、線路面の高さはそのままで、ホームの高さ自体を低くしてある(下記)。

 少々判りづらいが、1〜3番ホームは4番〜のホームに比べて全体が若干低くなっており、改札に近い根本部分近くではこのように勾配が付いている。

 終端駅らしく、全てのホーム間に給水用のホースが複数備えられている。


 ずらり並んだ信号機群。

 1/2番線が高徳線方面のみ、4/6/8/9番線が予讃線方面のみ、3/5/7番線が両方向への出発信号機を備える。

 高松駅南東の立体交差地点手前にある、予讃線の第3場内信号機。

 到着番線毎に信号機を用意せず、LEDで表示した進路に対する信号を現示する合理的な設計。

 改札を入って右側にある立ち食いうどん店。
 味については賛否両論。

 なお、割と誤解されがちだが、これはかつての連絡船のうどん店の代わりではなく、元々先代駅のホームにあったうどん店の名残である。


 櫛形の4本のホームには、今もまだ使用可能な水飲み場がある。

 4カ所の内3カ所は頭端部分から約120mの位置にあってご覧のように並べて撮ることが出来るが、1−3番ホームはホーム幅の関係でそれよりも若干駅舎側の位置にある。


 時折、ブリキのミニバケツが「消火用」として備えられているときがある。

 察するに、ホーム端にある喫煙所の灰皿の燃え残りの消火用ではないかと思われる。


 通常の屋根吊り下げタイプの駅名標。頭端式ホームを持つため、片方は空白となっている。


 ちなみに、4本のホーム全て同じ位置にあるため、並べて撮ることも可能だが、現在のダイヤでは快速「マリンライナー」が邪魔になって、昼間は4枚全て見通すことができない。


 なお、駅名標は北側の面と南側の面とでは隣駅の表記が異なっている。

 駅名標を見たときに実際に線路が分岐していく方向と感覚的に一致するように配置されており、JR四国内の他の分岐駅の駅名標も全て同様となっている。

 このようなタイプの駅名標もある。

 というより、通常の吊り下げタイプよりも、このような埋め込み曲面タイプの方が数は多い。なお、地上設置タイプの物は存在しない。


 2014年4月現在の改札口。

 4連の発車案内表示と頭端式ホームが、ターミナルらしさを醸し出す。

 2008年6月1日からは自動改札が、また2014年3月からはicoca専用機が導入されている。

 夜の高松駅正面口。

 文字の裏に照明があり、文字が浮かび上がるようになっている。

 改札前は吹き抜けになっている。

 みどりの窓口の向かいにある、弁当販売所。

 十数種類の駅弁のほか、かまぼこや天ぷらなども販売している。

 個人的には、(↑上にも書いているが)「あなご飯」「讃岐五目ずし」「牛めし弁当」がお薦め。「マリンライナー弁当」はパッケージがマリンライナーのデザインになっているなど話題性はあるが、その分割高なのでコストパフォーマンスの点ではお薦めできない(^^;

 駅出入口のドアは、1:30〜4:10の2時間40分間のみ締め切りとなる。

↓1〜3番

↓4〜5番

↓6〜7番

↓8〜9番

 3代目から4代目への改装は駅自体の移転と全面的な配線変更を伴う大がかりなものであったことから、各ホームとも竣工年月等が異なる。

 なお、下記使用開始日のソースは「JR四国NEWS」関係各号より。

(ホーム)竣工銘板年月使用開始年月日備 考JR四国NEWS 掲載号
1〜3番2000年11月 (1〜2番)
2001年 7月26日

No.165 (2001年 7月)
(3番)
2000年10月31日
旧0番を使用停止。No.156 (2000年10月)
4〜5番1999年11月1999年11月30日 旧1〜2番使用停止
旧0番を160m西へ移転
No.145 (1999年11月)
6〜7番1999年 2月1999年 2月16日旧3〜4番を使用停止No.137 (1999年 3月)
8〜9番1997年12月1997年12月20日 旧5〜6番を使用停止
仮駅舎も同日オープン
No.122 (1997年12月)


 新ホームの中で一番最初の竣工した8〜9番ホームは、仮駅舎のオープンと同時に1997年12月20日から使用開始となっており、1998年7月にサンライズ化されるまで、客車時代の「瀬戸」もわずか6ヶ月少々であるが現在の9番ホームから発着していた。




 現駅舎の自動改札導入後、icoca専用自動改札が導入される前の改札付近の様子。


※2008年6月3日撮影

 現駅舎の自動改札導入前の改札付近。


※2008年3月22日撮影

 2019年当時から2024年3月まで、みどりの窓口は未明の4:20からオープンしており、これはJR駅の中では出雲市駅と並んで日本一の早起きとなっていた。
 ちなみに、2016年当時は大分駅の4:15が一番であった(2019年現在は4:50)。

 2024年3月16日から、窓口の営業時間は6:50〜に変更されている。



<仮駅舎時代>
(駅移転工事期間中:1997年12月〜2001年5月)

 1997年12月から約3年半使用した、先代の仮駅舎。


※1998年3月22日撮影

 旧1番ホームに停車中の「うずしお」。
 左が旧0番ホームで、仮駅舎や既に完成している現8〜9番ホームと繋がる仮跨線橋が奥に見える。


※1998年3月28日撮影

 旧1〜4番ホームに並ぶ列車群。
 仮跨線橋の新設に伴い基準となる停止位置が変更となったため、頭端側から見ると列車の先頭位置が揃わなくなった。


※1998年3月28日撮影


 現在の6〜9番ホームまでが完成し、旧3〜4番ホームの撤去作業が行われていた1999年2月当時の様子。


※1999年2月20日撮影

 仮駅舎の改札を入ってすぐのところ。

 画像奥の跨線橋を上がり、各ホームへ向かっていた。


※1999年4月29日撮影

 仮駅舎と旧ホーム、そして新ホームとの間を繋ぐ仮設の跨線橋。
 新駅舎の工事進捗に伴って撤去された。

 蛇足だが、四国内の鉄道駅の跨線橋で、「6」以上の数字のホーム番号が掲出された例は、この当時のこの仮設跨線橋が唯一の例となっている。


※1999年8月25日撮影

 新4〜8番ホームに並ぶ列車群。


※2000年2月1日撮影

 現在の4〜9番ホームがほぼ出来上がった状態。
 この時点で、旧駅時代のホームは0番のみが160mほど移動した上で残り、高徳線が使用していた。

 現在の駅舎はまだ工事中で、遠くにクレーンが見える。
 また、ホームの根本には仮駅舎との間を繋ぐ跨線橋が見える。


※2000年2月2日撮影



<3代目駅舎時代>

 1997年まで使用していた、先々代にあたる3代目駅舎。

 四国の玄関口にふさわしい、鉄筋5階建ての堂々たる駅ビルで、国鉄四国総局(民営化後はJR四国本社)も入居していた。


※1997年5月10日撮影

 3代目駅舎の改札付近の様子。
 これは改札を入ってホーム側から撮影したもの。

 4連の発車案内表示はこの頃から健在。


※1991年1月1日撮影

 3/4番ホームから頭端側(駅舎側)を見る。

 旧ホームの打ち上げ工事は2度に分けて行われ、1回目は1986年度前半に一部のみ施工、2回目は遅くとも1990年度までに残りのホーム全長に渡って打ち上げが実施された。


※1991年7月24日撮影

 5番ホームの付け根にあった、ホーム運転室。

 駅構内の管理事務所とも言うべき場所で、監視用のモニタなどが備えられ、ホームで発車合図等を行う現業職員が詰めていた。
 忘れ物承り所も兼ねてる。

 その少し手前、5番ホームの庇の影に注目。
 かつて機回線があった名残かホームがわずかに湾曲していた部分も、打ち上げの際に直線状に修正されたため、このような影ができあがっている。


※1986年9月撮影

 国鉄末期、架線柱が立ち並び始めた頃。
 6番ホームに停車中の列車は「しおかぜ5号」。

 丁度1回目のホーム打ち上げ工事が終わった直後で、まだアスファルトが真新しく乗車口のペイントも未施工の状態。

 また、↓の1981〜83年当時の画像と比較すると、ホーム屋根の軒先部分が延長および葺き替えられているのが判る。
 電化工事に合わせて施工されたものと思われるが、最後まで未電化のままであった0〜1番ホームの屋根軒先は従来のままで葺き替え施工されておらず(下記参照)、電化工事のどの部分との関わりで施工されたのかは不明である。


※1986年9月撮影

 5/6番ホームは非常に幅の広い立派なものであった。
 長さも申し分なく、6番ホームは293mの有効長を備えていた。

 画像左端トラス橋状のものは、連絡船に車両を積載する時に使用する可動橋。右手奥には3代目駅舎が見える。

 ちなみにこの当時、高松駅は改札内にうどん店が2店あり、そのうちの1つはこの5/6番ホームにあった。現在の駅改札内にあるうどん店は、それを引き継いだもの。

 しかし、当時四国最長であったこのホームでも、後年の寝台特急「瀬戸」(24系客車13〜14両編成)乗り入れ時には編成の一部がはみ出してしまった。


※1985年6月16日撮影

 そのはみ出している様子w

 東京行き寝台特急「瀬戸」の13号車オハネフ25形の出入口ドアから機関車の方を見たところ。足元部分には、既にホームが無い。


※1991年11月3日撮影

 6番ホーム(6番線)からは隣の7番線(貨物列車発着用)へ渡るための機回用の分岐器があり、その部分はホームの方が車両に接触しないように現在の9番ホームと同様に湾曲状になっていた。


※1985年3月17日撮影

 6番ホームのさらに海側、桟橋横には荷物専用ホームがあり、連絡船航送で海を渡る荷物車への積み降ろしと積み替えが行われていた。

 宇高連絡船廃止後も長らくそのまま残されていて、立派な木造のホーム擁壁があったが、サンポート地区再開発事業が始まると撤去されてしまった、


※1991年7月29日

 旧5番ホーム側にも、かつて機回線があったと思わせるような微妙なカーブがあった(画像右側に注目)
 この部分は上画像の通り、ホーム打ち上げの際に真っ直ぐに修正されている。


※1983年6月撮影

 0〜1番ホームの間と、4〜5番ホームの間には留置線があった。

 後者の方は連絡船で航送されてきた新車などが一時的に留置されたりしていた。
 この時点では新たに四国に新製配置となった50系が留置中であった。


※1981年1月撮影

 3/4番ホームに置かれていた、急行列車のヘッドマーク収納棚。

 同様の収納棚は0番ホームにもあり、高徳線方面については主にそっちに置かれていた。


※1981年1月撮影


 ほぼ同じ位置から見た、0/1番ホームとその間の留置線に停車中の列車群。
 なお、このエリアは高徳線専用だったため、最晩年まで非電化のままであった。

 また、1〜6番ホームは1986年度の電化工事に合わせてホーム屋根軒先の葺き替えが行われたが、この0/1番ホーム部分は従来のまま手つかずであった。


※上:1991年7月24日撮影/下:1983年6月撮影
↓給油装置

↓消火器も備える

↓線路脇に伸びる給水ホース

 0番ホーム側には給油装置が5基あった。
 「火気厳禁」の標記や、消火器が備えられていた。

 この他、終端駅らしく各ホームに給水用のホースも備えられていた。


※上:1985年5月26日撮影/中:1986年8月1日撮影/下:1983年6月撮影

 6番ホームから下り方場内を望む。

 左の貨物列車が停まっているのが7番線で、その右隣の8番線と合わせて2本が貨物列車の発着線であった。
 その右隣が連絡船への車両の積み下ろしに使用する航送線、さらに右奥に広がるのが貨物ヤード、そのさらに奥が(高松運転所の)客車留置線となっていた。


※1983年6月撮影

↑左から3〜8番

↑左から1〜5番

↑正面に0番、右手
客車の屋根上に1番

 出発信号機群。

 0番から8番までの出発信号機が立ち並び、0番と1番が高徳線専用、6番が予讃線専用だった以外は、予讃線・高徳線両方向への出発が可能であった。


※上:1990年7月29日撮影/中&下:1986年6月撮影

 駅の北側に広がっていた側線群と客車留置線。

 右の貨車が並んでいるあたりが貨車仕訳線、左が高松運転所の客車留置線で、奥の建屋が客車検修庫。
 丁度この客車が留置されているあたりに、現在のJR四国本社ビルが建っている。


※1983年6月撮影

昭和町→




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