<概況> 岡山で山陽新幹線に接続して、愛媛県の県庁所在地松山を結ぶ特急列車。 現在は岡山〜松山間に8000系10往復と8600系4往復、さらに岡山〜伊予西条間に8000系1往復の、計15往復体制。 8000/8600系とも松山運転所の所属で、8000系の内の岡山〜松山間2往復がアンパンマン列車となる。 上り2号を除いた全列車が、多度津〜松山間または宇多津〜松山間で「いしづち」との併結運転を行っているが、多客時には分割併合を行わずに全編成が「しおかぜ」となる場合もある。 日中の下り岡山発は毎時35分、同到着は毎時10または11分にほぼ統一されており、利用客数もJR四国の特急列車の中では最も多い。 ただ日中の列車は、松山での折返し時間が短すぎるのが難点と言えば難点。 2022年3月改正時点で、早朝5時よりも前に動き出すJR昼行特急は「しおかぜ2号(伊予西条発4:59)」「しまんと2号(高知発4:51)」「やくも2号(出雲市発4:42)」の3本のみとなっている。 また同改正以前は、下り最終29号の松山到着時刻(0:56)はJR昼行特急としては一番の夜更かしで、始発列車発車時刻から最終列車到着時刻までの19時間57分という運転時間はJR特急としては最長であったが、同改正で下り最終の運転区間が短縮されて運転時間19時間となり、最長の座を「やくも」に譲っている。
8600系電車座席番号表 8600系電車の室内 (7/11/19/23号) (8/12/20/24号) 8000系電車座席番号表 8000系電車の室内 (上記以外) |
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<HISTORY> 〜運転時刻の変遷〜
1972年3月15日改正〜1982年11月15日改正 1985年3月14日改正〜1987年3月23日改正 1988年4月10日改正〜1990年11月21日改正 1991年3月16日改正〜1992年7月23日改正 1993年3月18日改正〜1997年11月29日改正 1972年3月15日の山陽新幹線岡山開業時のダイヤ改正で登場。四国に26両が新製配置されたキハ181系を使用して、高松〜宇和島間2往復、高松〜松山間1往復の計3往復が設定された。 当時の停車駅は、高松−新居浜−今治−松山−(伊予大洲)−(八幡浜)−宇和島 であった(伊予大洲と八幡浜は選択停車)。 列車番号はもちろん、四国のエースナンバーである1D〜 が付与された。 1977年3月15日改正で、本州からの転入車を使用して高松〜宇和島間急行「うわじま」1往復が「しおかぜ」に格上げされた。 結果、高松〜松山間1往復、高松〜宇和島間3往復の、合わせて4往復となった。して4往復に増強された。 この時に増発された列車は、多度津駅で先行の急行「土佐」を追い越すパターンとなった。 特急が急行を追い越すのは、本州の大幹線筋では当時日常的であったが、四国においてはコレが唯一であった。この”珍事”は1980年10月改正で「土佐3号」が廃止されて、3年半ほどで解消してしまった。 (交通公社時刻表 1978年10月改正号より) しおかぜ3号 予讃本線 松山駅 1980年8月16日 しおかぜ2号(左)/しおかぜ3号(右) 予讃本線 多度津駅 1982年11月 しおかぜ3号 予讃本線 高松駅 1983年6月 1985年頃までは、四国内の特急列車は自動閉塞区間でも二人乗務が常であった (運転助手席側にも乗務員の姿が見える) しおかぜ5号 予讃本線 多度津駅 1985年3月13日 国鉄時代のキハ181系×7両編成「しおかぜ」 3号車のトイレ窓の位置がずれているのはミスではなく、「仕様」 キハ180形の初期車は、方向幕とトイレ窓の位置がずれていた もちろん連結位置は固定ではないが、連結されていればここを見ると一目で判別できた 1985年3月14日改正で、それまでの文字だけのヘッドマークが、カモメをあしらったイラストマークに変更された。 1986年3月3日改正では、予讃線内子ルートの開業に伴って全列車が従来の伊予長浜経由から内子経由に変更となって、松山〜宇和島刊では最高で20分以上のスピードアップとなった。 また、多度津〜松山間の最高速度が85km/hから95km/hに向上しているが、この区間ではさほど時間短縮されていない。 1986年11月1日にはキハ185系の投入により一挙に13往復体制に強化され、気動車特急としては史上3番目(全列車気動車によるものとしては2番目)のエル特急となる。このうちの7往復がキハ185系、残り6往復をキハ181系が担当した。また、キハ185系2往復と、キハ181系3往復の合わせて5往復が宇和島まで直通していた。 しかし、当時は最高速度がまだ95km/h止まりであったため、高松〜松山間では同区間を走る急行「いよ」よりも遅い列車が存在し、問題視された。 停車駅も一気に増え、坂出・丸亀・(詫間)・(高瀬)・(豊浜)・(伊予土居)・(伊予北条)・(三津浜)・(伊予市)・(伊予吉田)が新たに加わったほか、川之江・壬生川・伊予中山は全ての列車が停まるようになった。 ※( )の駅は一部のみ停車 なお今改正から、キハ181系編成についてはグリーン車の連結位置が従来の2号車から3号車に変更となっている。 これは1990年3月改正まで継続された。 また、今改正では基本的なヘッドマークデザインに変更はないものの、右上に新たにエル特急マークが追加されたものに変更されている。 このほか、列車番号についてはキハ181系使用列車は従来通り1D〜 を名乗ったが、キハ185系使用列車は区別のために+1000番が付与された。 エル特急マークの追加されたヘッドマーク
この日の同列車は団体増結措置による堂々10両編成 もちろん「しおかぜ」としては最長編成記録である しおかぜ17号 〜10両編成〜 予讃本線 丸亀駅 1986年11月1日 キハ185系登場時の5両編成 1987年3月23日改正で、高松〜松山間の営業運転最高速度が110km/hに引き上げられ、最速列車は高松〜松山間で12分短縮の2時間34分運転となり、また全列車が同区間3時間未満の到達となって面目を保った。 ちなみに、最速の2時間34分の列車は上下各1本が設定され、いずれもキハ185系使用列車であった(キハ181系使用列車の最速は2時間39分)。 瀬戸大橋開通にともなう1988年4月10日改正で岡山始発に変更となり、キハ185系主体で岡山〜宇和島間下り1本/上り2本、岡山〜松山間下り4本/上り3本の5往復となる。 この時、ヘッドマークについても瀬戸内海を渡る潮風をデザインしたモノに変更されている。 停車駅はこの頃が最も多く、児島と宇多津が加わったほか、伊予吉田にも全ての列車が停車していた。 また、キハ185系使用列車についてはグリーン車の連結位置がキハ181系使用列車と同じ3号車に変更された(1990年3月改正まで)。 列車番号も変更され、四国のエースナンバーである1D〜 を「いしづち」に譲り、1001D〜 が付与され、使用車種による番号区別はなくなった。 所要時間面では、岡山〜松山間を3時間未満で到達していたのは下り最終の9号のみ(2時間56分)で、これが非振子式車両による同区間の歴代最速となっている。 しおかぜ3号 予讃線 丸亀〜讃岐塩屋間 1988年8月8日 JR四国色キハ185系6両編成「しおかぜ」 キハ185系JR四国色の「しおかぜ」は、90年11月改正まで見られた なおキハ185系列車の場合は、キロハ186形を境にして下り方のキハ185形は運転台下り向き、上り方は上り向きで揃っていることが多かった。 また、臨時の増結は基本的に全て上り方に増結していた(号車札挿し換え等の合理化のためと思われる:キハ181系も同様)。 しおかぜ6号 予讃線 讃岐塩屋〜多度津間 1988年8月8日 グリーン車を3号車に連結した、四国色キハ181系5+1両編成 88年4月から90年3月までの2年間だけ見られた 瀬戸大橋開業から間もないバブル期のこの頃、多客時には 今では考えられないほどの長大編成列車も出現した もっとも、現在より運転本数が少なかった点は考慮するべきだが・・・ しおかぜ3号 〜9両編成〜 山陽本線 岡山駅 1989年5月2日 1989年7月22日改正では、岡山〜宇和島間1往復/岡山〜松山間2往復の計3往復がいずれも急行格上げの形で増発され、岡山〜宇和島間下り2本/上り3本、岡山〜松山間下り6本/上り5本の合わせて8往復となった。 また、このうちキハ185系の1往復は多度津〜松山間「いしづち」との併結となった。 1990年3月10日改正では、グリーン車の連結位置が以前の2号車に戻された。 1990年11月21日改正では2000系量産車が投入され、8往復中6往復がそれに置き換えられて大幅なスピードアップを果たした。残りの2往復はキハ181系で、この時の改正を最後にキハ185系による定期列車の「しおかぜ」は見ることが出来なくなった。 運転区間は岡山〜宇和島間下り2本/上り3本、岡山〜松山間下り6本/上り5本。このうち、岡山〜松山間下り2本/上り1本と、岡山〜宇和島間上り1本がキハ181系であった。 ヘッドマークデザインについても再度変更が行われ、ライトブルーの地に2本の風のイメージがデザインされた5代目になっている。 またこの時、「いしづち」との併結は解消されている。 停車駅についてもかなり整理され、高瀬・豊浜・伊予土居・三津浜・伊予中山・伊予吉田停車が無くなったほか、川之江・壬生川を通過する列車が復活した。 この当時、岡山〜松山間最速の13号(2000系)は、同区間2時間29分運転(表定速度86.3km/h)で、この記録は2019年3月改正時点でもいまだに破られていない。 さらに、岡山〜宇和島間の最速所要時間で比べると、それまでの4時間48分から3時間54分と、なんと1時間近い大幅なスピードアップを達成した。 後部にTSEを連結した7両編成で岡山を発車する「しおかぜ」
しおかぜ3号 山陽本線 岡山駅 1990年12月25日 しおかぜ5号 宇野線 妹尾駅 1991年2月5日 2000系量産車投入時点では2往復が残存したキハ181系 しおかぜ9号 山陽本線 岡山駅 1991年7月19日 上り方にTSEを連結した編成は1990年11月改正から1992年7月改正までの間見られた しおかぜ3号 予讃線 多度津駅 1991年7月24日 4特急揃い踏みの貴重なシーン 左から、181系「いしづち4号」/2000系「南風4号」/2000系「しおかぜ3号」/181系「しまんと5号」 予讃線 多度津駅 1991年7月24日 8両に増結されたTSE連結編成 しおかぜ4号 予讃線 讃岐塩屋〜多度津間 1992年1月2日 多度津駅に「しまんと8号(左)」と同時到着 しおかぜ12号(右) 1992年1月2日 予讃線 多度津駅 2000系量産車7両編成「しおかぜ」 TSEを付属編成に連結した「しおかぜ」7両編成 1992年7月23日改正では、8000系試作車による季節列車が岡山〜新居浜間に2往復登場した。 また、2000系TSE編成が「しおかぜ」運用から離脱し、方向転換のうえで土讃線特急に転用された。 お盆の増結措置により、全区間8両編成となって重信川橋梁を渡る
しおかぜ2号 予讃線 市坪〜北伊予間 1992年8月16日 当時は2000系でも所定6連となる列車があった しおかぜ1号 予讃線 浅海〜大浦間 1992年9月15日 「宇和海」を待たせて伊予立川を通過 宇和海1号(左)/しおかぜ6号(右) 予讃線 伊予立川駅 1992年9月15日 キハ181系と2000系の交換 しおかぜ8号(左)/しおかぜ1号(右) 予讃線 大西駅 1992年12月27日 キハ181形三重連で運転するときは、何故か決まってキロハが2両組み込まれていた しおかぜ10号 予讃線 伊予桜井駅 1992年12月27日 わずかな直線を見つけては加速するメリハリの利いた走りを見せる四国の特急列車 しおかぜ1号 予讃線 大西〜伊予亀岡間 1992年12月29日 しおかぜ10号(左)/いしづち7号(右) 予讃線 伊予桜井駅 1992年12月29日 2000系同士の交換 しおかぜ5号(左)/しおかぜ12号(右) 予讃線 大西駅 1992年12月29日 中間車を4両組み込んだ大変美しい8両編成 しおかぜ5号 予讃線 大西駅 1992年12月29日 8000系先行試作車を使用した「しおかぜ」季節列車 (2枚とも) しおかぜ54号 予讃線 讃岐塩屋〜多度津間 1993年1月2日 キロハ180形を2両組み込み、さらにキハ181形3重連を先頭にして、 水平対向12気筒のターボサウンドを轟かせて岡山を目指すキハ181系 立ち上る黒煙が力闘ぶりを物語る しおかぜ10号 予讃線 讃岐塩屋〜多度津間 1993年1月2日 しおかぜ7号(右) (左は「南 風8号」) 宇野線 大元駅 1993年2月20日 1993年3月18日改正では8000系量産車の登場で10往復に増発されると共に、2000系2往復を除いた全列車が8000系電車化された。8000系については「いしづち」との併結も再開され、3往復が多度津〜松山間併結運転となった。 また、この改正から列車番号が変更となり、従来の1001D(M)〜 から、1M(D)〜 となって名実ともにJR四国の看板列車となった。 運転区間については、8000系8往復が全て岡山〜松山間、2000系は岡山〜宇和島間と岡山〜松山間各1往復であった。 なお、このうち夜間最終の1往復は列車番号が臨時列車の8000番台であったが、実際は毎日運転であった。 8000系は基本的に8両編成であったが、「いしづち」と併結となる3往復については5両編成2往復の他に4両編成が1往復存在した。なお、2000系はこの時点では「しおかぜ」単独の7両編成であった(宇和島発着の1往復は、松山〜宇和島間は4両編成)。 登場時の8000系の非貫通先頭車は運転助士席側にも大型ワイパーを備えていたが、
わずか1年ほどで撤去されてしまった 「しおかぜ1号」 予讃線 伊予小松〜玉之江間 1993年3月 当初は「いしづち」単独でも8連の列車もあり、愛称表示の無い8000系では 見た目で「しおかぜ」「いしづち」の判別が不可能だった しおかぜ10号(左)/いしづち5号(右) 予讃線 浅海駅 1993年3月 8000系量産車投入後も2往復が残った2000系 しおかぜ14号 予讃線 伊予亀岡駅 1993年3月 1994年のGWから。岡山〜松山間にキハ185系を使用した臨時列車が2往復設定された。 以降、1997年のお盆まで、多客期に運転された。 詳細は「代走いしづち」の項末尾の「臨時しおかぜ」の項目を参照。 1994年12月3日改正では「いしづち」編成の一部を分離する形で、岡山〜松山間にモノクラスS編成3両編成により下り1本が増発された。 これにより、岡山〜松山間に8000系が下り9本/上り8本と2000系が1往復、岡山〜宇和島間に2000系で1往復という体制となった。 このうち、8000系列車の下り4本と上り3本が「いしづち」との併結となり、下り1本がS編成(それ以外はL編成)での運用となった。 1997年3月22日改正では、昼間の2000系1往復が「宇和海」を統合する形で松山〜宇和島間延長されて岡山〜宇和島間の運転となった。 結果、岡山〜松山間に8000系が下り9本/上り8本、岡山〜宇和島間に2000系で2往復となった。 「いしづち」との併結列車は従来と変わらない。 1997年11月29日改正では3往復が増発され、岡山〜宇和島間2000系2往復、岡山〜松山間8000系下り12本/上り11本の13.5往復となり、8000系は2往復を除いた全列車が「いしづち」との併結となった。なお、2000系は2往復とも全区間単独運転である。 また、このときから「エル特急」の呼称をやめている。 1994年のGWから岡山〜新居浜間に運転されていたキハ185系による臨時「しおかぜ」は、1997年の年末以降の運転が無くなった。 1998年3月14日改正からは2000系気動車列車2往復も「いしづち」との併結となった。 また今改正から、「しおかぜ」「いしづち」併結列車における、分割併合時の「しおかぜ」の待ち時間を減らすために8000系編成の方向転換が行われ、グリーン車が従来の下り向き先頭から上り向き先頭に変更となった。 現在も行われている繁忙期の「しおかぜ」8両運転(=「いしづち」の高松〜多度津間代走)は、この年のお盆から始まった。 1998年10月3日改正で朝の上り伊予西条始発の季節列車(平日のみ運転)が増発されたが、列車番号は8000番台で号数も「82号」を名乗り、土曜・休日運休の不定期列車扱いであった。 これを含めて、岡山〜伊予西条間上り1本、岡山〜宇和島間2000系2往復、岡山〜松山間8000系下り12本/上り11本の14往復体制となった。 1999年3月13日改正で伊予西条始発の上り季節列車が定期列車に格上げされたが、号数は「82号」、列車番号も8000番台のままであった。 2000年3月11日改正でようやく「82号」が「2号」に変更され、名実とも定期列車化。 さらに朝の「いしづち」1往復を編成分割する形で1往復増発され、合わせて15往復に増強された。 結果、岡山〜伊予西条間上り1本(8000系)、岡山〜松山間下り13本/上り12本(8000系)、岡山〜宇和島間2往復(2000系)の運転となっている。 このうち、朝の下り1本と伊予西条始発を含む上り2本のみが単独運転となる。 2002年3月23日改正では、「いしづち」との分割・併合箇所が宇多津に変更された。 2003年10月1日改正では、「いしづち」が1往復増発されたことから、全区間単独運転となる列車が上り2号の1本のみとなった。 また、この時の改正では不名誉なことに岡山〜松山間を3時間以上を要する列車が復活している。 坊ちゃんスタジアムをバックに、予讃線最長の重信川橋梁を行く
しおかぜ22号 予讃線 市坪〜北伊予間 2004年1月9日 8000系と2000系の交換 しおかぜ20号(左)/しおかぜ9号(右) 予讃線 伊予亀岡駅 2004年11月 2005年3月1日改正では、「いしづち33号」が全区間単独運転となったことから、従来それとコンビを組んでいた29号も単独運転となり、これで全区間単独運転となるのは上下各1本の2本となった。 この間、2004年秋から2006年秋までの間にかけて、全車両のリニューアル改造が実施されて、外観イメージが大きく変わった。 8000系第1次リニューアル移行期間に見られた、新旧の並び
しおかぜ18号(左)/しおかぜ13号(右) 予讃線 多度津駅 2005年5月2日 アンパンマン基本編成に量産車を増結した5両編成の「混パンマンしおかぜ」 しおかせ22号 予讃線 伊予中山〜伊予立川間 2005年5月7日 リニューアル車で揃った8000系 しおかぜ18号(手前5両) 予讃線 伊予和気〜三津浜間 2005年10月22日 リニューアル移行中の混色編成 しおかぜ24号(前部5両) 予讃線 大浦〜伊予北条間 2006年2月19日 一般車が3両混ざった、「まだらンパンマン」 しおかぜ9号(前部6両) 予讃線 関川駅 2006年10月7日 松山駅で交換するアンパンマンしおかぜ しおかぜ9号(右)/しおかぜ22号(右) 予讃線 松山駅 2006年10月22日 何故か前照灯非点灯のまま走行(点け忘れ?) しおかぜ22号 予讃線 伊予和気〜三津浜間 2007年2月25日 2008年3月15日改正では、新幹線の大幅な時刻変更に伴い、岡山駅ホームのやりくりの関係などもあって、岡山での接続時間が延長され、本州〜四国間の平均所要時間が10分程度延びてしまった。 最速列車の所要時間も、それまでの2時間32分から2時間38分にスピードダウンしている。ただし、岡山〜松山間が3時間以上かかる列車は姿を消した。 また、本改正から全車禁煙となった。 2009年3月14日改正からは、アンパンマン仕様の2100形への喫煙ルーム設置が完了したことから、所定編成では4号車と5号車(時刻表上は4号車のみと記載)に喫煙ルームが設置された。 2010年3月13日改正で、下り最終の29号が、多度津〜松山間で「いしづち」との併結となった。 これにより、上り2号を除いた全列車が「いしづち」との併結運転となった。このうち下り最終の29号が多度津〜松山間が併結運転区間となっているほかは、全て宇多津〜松山・宇和島間で併結運転を行っている。 2011年3月12日改正では、従来は8000系S編成による3両モノクラスで運転されていた2/3号が、グリーン車を組み込んだL編成5両編成に変更となり、これで15往復全ての列車にグリーン車が組み込まれることになった。なお、喫煙ルームはこの改正で廃止となった。 また、従来宇和島まで直通していた昼間のアンパンマン列車(9/22号)が、松山折り返しに変更された。 さらに細かい点では、残る1往復の宇和島直通のうちの下り21号については、宇和島まで直通する車輌が通常期4両から3両に減車されている。 結果、運転本数はそのままで、岡山〜伊予西条間上り1本(8000系)、岡山〜松山間下り14本/上り13本(うち1往復は2000系)、岡山〜宇和島間1往復(2000系)の運転となっている。 何故か全編成「しおかぜ」にもかかわらず「いしづち」のヘッドマークを掲げた2109形しょくぱんまん(左)
(右)は宇多津〜高松間の「代走いしづち」 しおかぜ10号(右)/いしづち10号(右) 予讃線 宇多津駅 2012年11月11日 2013年3月16日改正では、上り2号の始発駅が伊予西条から今治に変更となった。今治発車時刻は4:38で、日本一早起きのJR昼行特急列車となった。 このほか、夕方の帰宅時間帯にかかる下り23/25/27号について、「いしづち」との併結駅が宇多津から多度津に変更された。 結果、全体の運転本数はそのままで、岡山〜今治間上り1本(8000系)、岡山〜松山間下り14本/上り13本(うち1往復は2000系)、岡山〜宇和島間1往復(2000系)の運転となっている。 2014年3月15日改正では、8000系電車について1998年3月改正以来16年ぶりに編成の方向転換を行い、登場当時と同様にグリーン車が下り向き先頭となるように変更された。 これにより、2000系と8000系でグリーン車の位置が揃えられることとなった。 その他、ダイヤと運用については、特に変更はない。 上り2号の今治発車時刻は4:37となり、日本一早起きのJR昼行特急の座を堅持。 2016年3月26日改正では、新型8600系電車の量産車の投入により、全列車が電車化されて運転区間が上り2号を除いて岡山〜松山間に統一され、1972年以来続いていた宇和島直通列車が消滅した。 また、JRの特急で同一愛称で電車と気動車の2本立ては、2011年3月改正で「はしだて」「まいづる」に287系とKTR8000形が投入されるまで、1993年3月改正以降では全国でもこの「しおかぜ」と「いしづち」だけであったが、全列車電車化によってこれも無くなった。 結果、8000系が岡山〜松山間下り11本/上り10本と岡山〜今治間上り1本、8600系が岡山〜松山間4往復の、計15往復体制となった。 しおかぜ17号(前部5両) 予讃線 海岸寺〜詫間間 2016年9月7日 踏切事故の影響でダイヤが乱れ、高松発着に変更された「しおかぜ16〜17号」 この区間を8000系8連が走行したのは久しぶりであった しおかぜ17号 予讃線 八十場駅 2017年5月3日 2018年2月に8600系の基本3両編成が1本増備され、2018年3月17日改正で岡山〜松山間の8000系列車1往復が8600系に置き換えられたが、運行系統やダイヤに変更は無い。 2018年のGWから登場した、
「クロハ」2両組み込みの8600系8両編成
豪雨災害により、2018年7月9日から同年8月9日までの1ヶ月間、 多度津〜観音寺間で全ての特急の運転が取りやめとなった 松山〜観音寺間の区間列車として編成短縮して運転された「しおかぜ20号」 予讃線 観音寺〜豊浜間 2018年7月16日 伊予寒川駅で交換するハチロク しおかぜ12号(左)/しおかぜ5号(右) 予讃線 伊予寒川駅 2018年9月28日 上りの8600系列車遅延のため、所定の多度津ではなく海岸寺で交換する「しおかぜ」 8600系列車は、8000系列車より遅延頻度が高いように見受けられるのは気のせいか・・・? しおかぜ18号(左)/しおかぜ13号(右) 予讃線 海岸寺駅 2018年10月6日 2019年3月16日改正では、朝の上り始発2号の今治〜伊予西条間が廃止されて伊予西条始発に変更となった。 これにより、日本一早起きのJR昼行特急の座を「やくも2号」に譲り渡したが、始発列車から最終列車までの運行時間19時間57分は、「やくも」の19時間55分を凌いでJR昼行特急では最長となっている。 このほか、夕方帰宅時間帯の下り1本の「いしづち」との分割駅が宇多津から多度津に変更された。 それ以外には基本ダイヤと運行系統に変更はなく、8000系が岡山〜松山間下り10本/上り9本と岡山〜伊予西条間上り1本、8600系が岡山〜松山間5往復の、計15往復体制となっている。 2020年3月14日改正では、特に変更は無い。 Covid-19感染拡大の影響により、2020年4月29日から「しおかぜ」の5両運転が始まった
8000系はL編成単独での運転となっている しおかぜ20号(上)/しおかぜ22号(下) 予讃線 本山〜観音寺間 2020年4月30日 2021年3月13日改正では、特に変更はない。 Covid-19の影響による「いしづち」分離運転はほぼ間断なく継続していたが、同年秋から久しぶりに通常の運行形態に戻った。 8600系も5両運転
しおかぜ18号 予讃線 海岸寺〜詫間間 2021年3月31日 GWは一時的にフル編成が復活した しおかぜ13号 予讃線 詫間〜みの間 2021年4月28日 車両不具合の影響により、S編成が代走した「しおかぜ」 しおかぜ26号 予讃線 本山〜観音寺間 2021年6月10日 Covid-19も収束に向かい、併結フル編成が復活
2022年3月12日改正では、下り最終の29号が伊予西条〜松山間廃止された。 また車両運用が一部変更となり、8600系列車が1往復減って、その分8000系列車が増えている 結果、計15往復体制はそのままに、8000系が岡山〜松山間10往復と岡山〜伊予西条間1往復、8600系が岡山〜松山間4往復となっている。 下り最終列車の伊予西条打ち切りにより、終着駅到着時刻が午前0時よりも早くなり、始発から最終までの運転時間は丁度19時間となり、最長の座を「やくも」に譲った。 2023年3月18日改正では、特に変更はない。 2024年3月16日改正では、特に変更はない。 |
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<前史> 「しおかぜ」の愛称名は、新幹線に接続して山陽本線 新大阪〜広島間を走っていた特急列車に使用されていたことがある。 1964年10月の新幹線開通に伴い、東海道区間から転職してきた151・181系電車を使用して、新大阪〜広島間に特急列車として2往復が設定された。 68年10月改正では全国的な愛称名統合の波にのみこまれ、新大阪〜下関間特急「しおじ」に統合されて姿を消した。 |
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<余談> ヘッドマークの文字
「しおかぜ」の文字だけのヘッドマークには、文字が太い物と細い物が見受けられる。 個別にパッと見ると判りにくい場合も多いが、太文字の方はローマ字の「A」の隙間が近くで見てもほぼ見えなくなるぐらいに、また細字は「ぜ」の濁点が離れているのが遠目にも判るなどの違いがある。 特に使い分けられていたわけではないようで、同じ車両でも時期によって文字の太さが異なっている場合も見受けられる。 使用時期については、文字ヘッドマークの「しおかぜ」自体あまりたくさん撮っていないので確かなことは言えないが、少なくとも1979年頃から最末期の1985年3月まで両方とも併存して使用されていることは確認されている。
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<私見> JR四国の特急列車の中では現状では最も理想値に近い列車である。日中ほぼ完全に1時間ヘッドで15往復が運転され、下り2本を除く全列車が岡山で「のぞみ」に接続しており、利便性はかなり高い。 敢えて注文を付けるなら、編成の増強とスピードアップを望みたい。 現状、特にここ数年はCovid-19の影響でそれほどないが、もともと「いしづち」併結となる5両編成列車では岡山出発時点で既に立席がでることもさほど珍しくなく、年末年始やお盆などの繁忙期は一部の列車が全編成岡山行「しおかぜ」とされるが、それでも輸送しきれないことさえあった。 途中停車駅のホームや線路の有効長の問題もあるが、「しおかぜ」編成は全て6〜7両として、「いしづち」は多少減らしてでも併結状態で8〜9両程度の編成にする必要がある。 一番の理想は「しおかぜ」6〜7両/「いしづち」3両程度で全列車単独運転とし、丸亀〜松山間は両列車は各1時間毎/合わせて30分毎の高頻度運転を確保し、尚かつ「いしづち」との分離運転によって停車駅も差別化し、宇多津・詫間・高瀬は全列車通過、川之江・壬生川も1/3程度を、児島・伊予北条についても2/3ぐらいは通過させて岡山〜松山間全列車2時間半以内の所要時間を目指したいところであるが、多度津以西が全て単線の現状では難しいだろう。 2003年10月改正以降は岡山〜松山間が3時間以上かかる列車が復活してしまっているなど、近年総体的にスピードダウンしており、是正を望みたいところではある。 また、「南風」「しまんと」が充分な本数が確保されている場合は、丸亀・多度津も全列車停車させる必要は無いといえる。事実、以前は多度津を通過する列車もあった。 2016年3月26日改正で宇和島直通が消滅してしまったのは少々残念で、直通サービスの復活を望みたいところ。 |