MyTravel Vol.37
ぐるっと四国半周
珍しくいつもよりかなり短いプロローグ(^^;
でも本文はいつものように長いで〜す
低速回線では重いかもしれないけどごめんなさ〜い m(_._)m
今年のお盆も、ほぼ例年通りに夜行快速「ムーンライト」運転のほか、「しおかぜ」「いしづち」分離運転、トロッコ列車運転、そして寝台特急「サンライズ瀬戸」の松山延長運転が実施された。
さらに、高知よさこい祭りや徳島阿波踊り、高松祭り、サンポート高松花火大会などの夏祭り対応の臨時列車も運行された。
そこで今年は、高知よさこい祭りに対応して8月10日の一日だけ運転される臨時特急「よさこい中村」と「よさこい高松」を撮りに行くことにした。
しかし当日の高知市内は当然大渋滞と交通規制が予想されたため、列車で行くことにし、それならついでに「サンライズ瀬戸」と「しおかぜ」の単線区間での離合風景も撮って、さらについでに久しぶりに下灘駅の様子を見に行こうと思い立ち、週末と休日の1日間JR四国内乗り放題で1万円の「週末乗り放題きっぷ」を買ってきた。
以下文中の列車の編成表は、いつもの通り向かって右側が上り方(高松方)である。
まずは一旦多度津まで出るため、琴平から高松行き快速「サンポート」に乗車。
この列車、実は平日毎朝乗車している私の通勤列車なのだが、さすがに日曜日はガラガラである。
高松運転所所属の113系更新車第1編成による4両編成。
通常は転換シート装備の113系が使用されるのだが、3編成を予備無しの3日サイクルで運用しているらしいため、車輌点検で113系が走れないときはオンボロの121系が充当されて辟易するときがある。
最近では8月上旬に121系が入った。
琴平から16分で多度津駅2番ホームに到着、地下道を通って3番ホームへ移動。
次は松山行きの特急「しおかぜ1号」+「いしづち5号」に乗車して壬生川へ向かう。
待っている間に、伊予三島行きの貨物列車が到着したのでこれを撮影した。
この日の同列車は、松山運転所所属の8000系電車S3編成+L2編成。
知っている人は知っているが、8000系はグリーン車組み込み5両編成の「L編成」と、グリーン車無し3両編成の「S編成」がいずれも6編成ずつあり、通常はL編成が「しおかぜ」、S編成が「いしづち」に充当され、宇多津〜松山間で併結運転を行っている。
お盆の期間中は、日中のほぼ全ての列車が8両全て「しおかぜ」とされ、「いしづち」は高松〜多度津間の区間運転として、宇多津・丸亀・多度津での乗り換えが発生する。
今年は8月9/10〜17日までがその日だったのだが、この列車は基地への車両回送の関係もあり、通常通りの併結運転となっている。
ただし、通常はL編成が「しおかぜ」となるところ、この列車は例外的にL編成が「いしづち」となり、その意味でもこの列車は例外的存在である。
5号車の4番A席に陣取る。
多度津を出て、次の海岸寺の手前で信号待ちのため一時停止。
海岸寺で離合する予定の「しおかぜ6号」が遅れていたためのようで、「しおかぜ6号」を待たせて右側を通過。
その後は伊予三島で「しおかぜ8号」、石鎚山で「しおかぜ10号」と、約30分ごとに対向の上り特急列車と離合する。
その石鎚山で離合する「しおかぜ10号」は、2000系気動車によるアンパンマン列車だったので、すれ違いざま撮影しようとデジカメで挑戦。
前側(岡山側)はなんとか撮影成功
。
黄色いアンパンマン車輌だ。
予讃線のアンパンマン車輌は土讃線のそれと違って、1両ごとにキャラクターが決まっていてそれに沿ったカラーリングが施されている。
紫色のばいきんマン号とか、白の食パンマン号とか、薄いパープルのロールパンナ号の他に、ドキンちゃん号とか色々あって、この黄色は、、、、、、知らん(^^;
ちなみにこのイラスト、側面のステンレス部分はシールになっており、近くでよく見ると一部で重ね貼りしてあったりするのがよく判る。
で、松山側は、、、、、
ぐはぁ、失敗や!
←なんも写ってへんやん(^^;
次の伊予小松を通過して、600Rの大カーブを車体を傾斜させながら120km/hで悠然と曲がり、北に90度向きを変える。
このカーブを通過するときのこの感覚が、私的にはとても好きなポイントの一つである(^^;
そのカーブを曲がった2つ先の壬生川で下車し、伊予市行きの各駅停車に乗り換える。
伊予市行き普通列車4639Mは松山運転所の7000系電車による単行ワンマン列車。
この壬生川で「しおかぜ1号」+「いしづち5号」に追い越されるため、列車はすでに2番ホームに停車中であった。
後ろのドアから乗車して整理券を取って、発車を待つ。
壬生川の次の伊予三芳で「しおかぜ1号」+「いしづち5号」と離合した(はずの)、上り伊予西条行き各駅停車の到着を待ってから発車。
発車時点での乗客は30人ほど。
2つ目の伊予桜井
で早くも下車。もちろん無人駅。
ここで「サンライズ瀬戸」を待ち受ける。
いやになるほどの焼けるような暑い夏の日差しが照りつける、、、、、う〜む、日焼けオイルでも塗ってくるべきだったか?(笑)
待つこと20分、「サンライズ瀬戸」が現れ
、2番ホームに停車。
そして約3分後、岡山行きの特急「しおかぜ12号」が1番ホームを通過していった
。
伊予桜井からは松山行きのこれも単行ワンマン列車に乗車。
車輌はやはり松山運転所の7000系。
伊予桜井発車時点での乗客は30〜40人程度。
ちなみに、「サンライズ瀬戸」が現れた時刻というのは本来この普通列車が到着する時刻であり、「サンライズ瀬戸」延長運転のため、この列車は壬生川から先松山までの運転時刻が所定よりも若干繰り下がっている。
2つ目の今治で下車。
ここからは松山行きの特急「しおかぜ3号」に乗り換え。
さて「しおかぜ3号」を待っている間、駅のホームからふと正面を見てみると、なんだか変な文字盤をした時計塔のあるビルが建っている。
なんだと思ってよく見たら、文字盤に視力測定のマークが入っている(^^;
どこのビルかと思ってよく見たら、、、、、大いに納得
(^^;
ホームからみてまさに真正面にあるわけで、これは意図的なモノだと考えられたので、ホームの方にも何かあるはずだと探してみたら、案の定1番ホームにあった。
1番ホームの壁に、どの位置のが見えたら視力はいくつだという説明看板が掛けてあった
。
残念ながら望遠性能の低いデジカメで撮影した(一応光学3倍ズーム×デジタル3.2倍ズームなのだが)ので文字が潰れて見えないのが残念。
次にまた来る機会があったときに確認するつもりである、、、、、、、憶えていれば(^^;
今治駅は、高松〜松山間の途中駅の中ではかなり特急列車の乗降客が多い駅(一番多いかもしれない)なのだが、この日のこの時間も、この今治の次の停車駅はもう終着の松山だというのに、4両の自由席車の乗車位置には目測で100人以上の乗客が列車の到着を待っていた。
降りる客もかなりいたため、大多数の乗車客は着席できたようだが、立っている人も若干いた。
今治から松山まではノンストップで34分、平均時速は90km/h程度。
3つ目の大西を過ぎると、伊予北条までの間にかけては高縄半島の入り組んだ海岸線に沿った急カーブが連続して平均時速は80km/h台半ばにとどまり、せっかくの高性能車もやや力をもてあまし気味。
しかし逆に、自慢の制御付振子が威力を発揮する区間で、むしろこの区間をこの速度で走れる方が驚きである。
途中、今治から3つ目の大西で対向の「しおかぜ14号」と交換。
満員の乗客を乗せて松山には定刻に到着。
ここからは7分の接続で宇和島行き特急「宇和海7号」に乗り換えて伊予大洲へ。
「宇和海7号」は所定は「しおかぜ」間合い運用のアンパンマン塗装の2000系4両編成だが、この日はお盆の増結措置で、通常塗色車を4号車に組み込んだ5両編成。
列車は「しおかぜ3号」が1番ホームに到着時点で宇和島方で待機しており、「しおかぜ3号」到着後に同じ1番ホームの宇和島側に入線。
ところが松山駅の1番ホームは、「しおかぜ」8両と「宇和海」4両分の収容能力しかないため、「宇和海7号」が増結されたこの日は、ご覧のように見事に先頭車両がホームからはみ出してしまった
(苦笑)
記念撮影の家族連れも、仕方ないので↑この場所で撮影・・・(^^;
さて特急「宇和海」は個人的には「南風」と並んで四国内でもっとも好きな列車の一つであるが、その理由の一つが「走りっぷりがいい」ことで、特に向井原〜内子間での高速走行と、八幡浜〜宇和島間での力強い勾配登坂がお気に入りである。
この日の「宇和海7号」は4/5号車が満席、3号車も約8割と結構な乗車率。自由席車は一般的に禁煙車両より喫煙車輌の方が空いていることが多いが、この日のこの列車も編成中ただ1両の2号車の喫煙自由席車は5割程度の乗車率であった。
乗り換え時間がわずか7分で、列車がホームに入ってからは4分程度しかなかったため、上の画像を確保して席に戻ったときはもう発車1分前であった。
「宇和海7号」は伊予市の手前の鳥ノ木駅の前後で、対向列車到着遅れのためか徐行運転。伊予市を11:23に通過した。
次の向井原を通過し、伊予大平から犬寄隧道にかけての上り勾配をエンジン全開で一気に駆け上がる。
延長6,012mという、道路トンネルも含めて四国最長の犬寄隧道を3分5秒で通過、トンネル内の平均時速は117km/h(!)
トンネルを抜けたところにある伊予中山を、速度を落とすことなくあっという間に通過、次の伊予立川通過時に曲線制限で110km/hに減速したのみで、いつもながら実に気持ちの良い走りっぷり。
伊予市を通過してから内子に到着するまで14分30秒、この間の平均時速は107.6km/h、松山からでも100.3km/hで、当然ながら隣接停車駅間の平均時速としては四国内ではNo.1クラスの速さである。
なお、この日は鳥ノ木前後で徐行してこの速度であることをお忘れなく(^^;
伊予大洲からは長浜回りの旧線に入り、下灘を目指す。
乗り換え待ちの間に、側線で次の出番を待つ臨時列車「海辺のトロッコ号」を撮影
。
伊予市では15分程度の接続で、伊予長浜経由伊予市行き各駅停車に乗り換え。
車輌は元特急型のキハ185系3000番台車。
この車輌についてよく知らない人はこちらのページを参照(新しいウィンドウで開きます)。
シートは原則としてリクライニング機構が止められてはいるもの、特急時代のペダルによる回転機構は健在
。
また、リクライニング機構についても生きている座席が存在する。
10数人程度の乗客を乗せて発車した列車は、伊予大洲から約2キロの伊予若宮信号場で海回りの旧線へ分岐。
のんびりとした足取りで五郎に着く。
五郎のすぐ伊予長浜側では線路沿いで斜面の小崩壊があったらしくてその復旧作業を行っており、現場付近は15km/hの速度制限がかかっていた
。
五郎の手前でもかなり徐行したため、結局五郎発車時点で2分の遅延。
さてここで私は、昼飯をまだ仕入れていないことに気づいた。
本当は伊予大洲で一旦改札を出て何か買ってこようと思ったのだがコロッと忘れていたのだ(^^;
・・・っていうか、10分程度しか時間がなかったし・・・・
下灘駅の周辺には適当な店は無く、下灘からまた伊予大洲に引き返してくるまで、昼食を仕入れるチャンスが無くなってしまう。
この列車は、定刻ダイヤなら伊予長浜で8分間停車することになっており、確か駅前に商店があったと記憶していたので、その間にそこで何か買ってこようと考えた。
ということで、五郎発車時点で2分遅れていた列車には、できれば長浜までに遅れを回復して欲しいのだ(^^;
がしかし、列車は八多喜発車時点で1分回復したものの、その後はさっぱり走る気が無いかのように、肱川沿いをのんびりだらだらと長浜へ向かった。
・・・・いや、決してそんなつもりではなく、ただ単純に線路規格があまりに低いので速度が出せないだけの話である。
何しろここを特急列車が走っていた頃でも、その平均時速は60km/hを割っていたのだから・・・・
結局1分遅れのまま伊予長浜に到着。
7分停車の間に、駅前の商店でパンとドリンク等を仕入れた。
伊予長浜からは若干乗客が増えた、、、、といっても30人弱程度だが(^^;
伊予灘を見ながらのんびりとクロスシートの旅を楽しみ、12:52定刻に下灘に到着した。
通常この区間を走行するワンマン列車(時刻表情で列車番号が4700番台の列車)は、ロングシートのキハ32なので、外の景色を見るにはちょっと苦労するので、この区間に乗車するのなら、列車番号4700番台以外の列車を選択する方がベター。
さてこの下灘駅は、個人的には四国内の駅では高松、丸亀、讃岐財田、坪尻と並んで好きな駅である。
海側から駅舎の方を見れば、何の変哲もないただのローカル駅だが
、、、、
駅の入り口からは海が見えるのだ
。
改札口の目の前に海が広がる駅など、そうあるモノじゃない
。
この雰囲気がとっても好き
(^^;
以前は線路のすぐ下が波打ち際だったのだが、現在は立派な国道がその間に割って入ってしまっている。
しかし今でも、以前の防波堤跡が道路脇に残っている
。
この日は非常に日差しが強かったが、海から吹いてくる風のおかげで日陰にさえいればとてもに過ごしやすかった。
折り返し列車が来るまでの約1時間をここで過ごした。
ちなみに私は、海と山とどっちが好きかと聞かれたら、「遊びに行くなら山、眺めるだけなら断然海」という人間なので、待っている間ただぼけ〜〜っと海を見ているだけで全然退屈しなかったのは言うまでもない(^^;
駅舎で待っているとこんな貼り紙を発見
。
まぁ確かにここで野宿したくなる気持ちもわからんでもないがねぇ(^^;
でもどうせ野宿するなら、坪尻駅でしょ(おひおひ)
伊予大洲までは件のロングシート車であるキハ32形単行のワンマン列車で折り返す。
松山運転所所属のキハ32形のトップナンバー1号車だった。
下灘発車時点での乗客は13人。
この列車は途中の長時間停車もなく、ただ淡々と伊予大洲に向かって走るのみで、特記事項は特に無し。
っていうか、キハ32ってどっちかというと嫌いな車輌だし(^^;
さて、伊予大洲からは特急「しおかぜ9号」に乗って宇和島へ行き、そこから普通列車に乗って北宇和島に戻り、そこで予土線のトロッコ列車を撮影する予定であったが、「しおかぜ9号」は「アンパンマン列車」なので、家族連れの客が多くて伊予大洲からでは着席が難しいだろうと思われたことと、伊予長浜で接続する宇和島行きの各駅停車がさっき乗車したキハ185系3000番台車だったので、北宇和島までの2時間弱をのんびりとクロスシートで堪能するのも良いと思い、わずか2分の接続でこの列車に乗り込んだ。
このキハ185系は本当はもっと速く走れる(はず)なのだが、完全な限定運用ではなく、少し性能の落ちる旧型車と日替わりで共通運用になる関係から、列車ダイヤが旧型車の性能に合わせられているため、キハ185系では若干性能をもてあましているはずである。
伊予大洲から2つ目の伊予平野駅では、コンクリート製の枕木が山積みされていた
。
どうやらこのあたりの木製枕木をこれと交換して軌道の強化を図るようだ。
平野を出ると夜昼峠にさしかかり、全長約2,900mの夜昼トンネルを抜ける。
八幡浜では25分間停車し、宇和島行き特急「しおかぜ9号」を先に行かせて&松山行き特急「宇和海16号」の到着を待つ。
その八幡浜では、側線に「キハ32−10」という逆順目車番の車両が停まっていたので思わず撮影
(笑)
さてこの25分間の停車時間の間に、2両のキハ185−3000番台のシートをチェック。
リクライニング機構が原則止められているが生きているのもあるということは既に書いたが、この2両のシートのうちのどの程度が、リクライニングが生きているか調べた(^^;
もちろん、他の客が座っているシートまでは調べることはできなかったが、幸い乗客は全部でほんの10人程度だったので、誰も座っていないシートについて、片っ端から肘掛けに付いているリクライニング用のレバーを引いてみた。
この車輌が登場した当時は、このレバーを接着剤で固定してあったのだが、最近のはこのレバーと座席のリクライニングを結ぶ機構そのもの(ワイヤー?)を外してあるようで、リクライニングしない座席についてはこのレバーが全く手応えが無くスカスカに動くのである。
逆に手応えのあるモノについてはほぼ全てがリクライニングが生きており、既に他の客がリクライニングさせていたモノも含めるとその数は、宇和島側のキハ185−3013の場合で全60座席中7席、松山側のキハ185−3106が全64座席中5席が、リクライニングが生きており
、車輌によっては結構高い確率でリクライニングシートに座れるということになる。
これらの席の座席番号もちゃんと全て控えてあるのだが、それは秘密(^^;;
もちろん、私が北宇和島までをリクライニングシートに身を委ねたのは言うまでもない。
ちなみに10番D席である(^^;
「宇和海16号」が到着し、列車は14〜5人程度の乗客を乗せて八幡浜を発車。
ここから双岩、伊予石城にかけては、最急33‰の上り勾配と、250Rクラスの急カーブが続く笠置越えで、予讃線最大の難所。
海抜数mの八幡浜から10km弱の間で、標高200mを超える宇和盆地まで登るのだから、その勾配も半端ではないわけである。
宇和盆地の中心、卯之町の次の下宇和で、上り各駅停車と特急列車と交換するため、13分停車。
特急列車が頻繁に往来する単線の幹線ともなると、普通列車がその割を食うのは、地方ではよくある光景ではある。
そうは言ってもこの列車、特急「宇和海」が1時間あまりで走ってしまう、伊予市から宇和島までをたっぷり3時間3分かかって走っており、しかもそのうち伊予大洲と八幡浜、そしてこの下宇和の3駅での停車時間だけで1時間も時間を食っているわけで、鈍行の旅が好きな趣味人にとっては良いかもしれないが、普段利用する地元の人、、、、特に途中で長時間停車のある駅を通過する人にとってはいい迷惑なわけで、もう少し何とかならないものかと思う。
こんな列車ばかりが、しかも1時間か2時間に1本しか走ってないとあれば、鉄道好きの私でさえ列車を利用する気が失せてしまう。
ところで、下宇和で離合した「宇和海18号」
は、さっき八幡浜で追い越していった「しおかぜ9号」の折り返しで、この各駅停車がだらだらと八幡浜から走ってくる間に、もう宇和島まで行って折り返してきたわけである、、、、いやぁ、なんて働き者なんだぁ(^^;
っていうか、各駅停車遅すぎるって(T_T)
伊予大洲から約46キロ、2時間弱をかけてようやく北宇和島に到着。
北宇和島では予土線の近永行き普通列車と交換
したが、私はこれには乗らずに次の列車を待った。
予土線は時刻表上では窪川側が起点(上り方)になっているが、線路脇に立つ起点からの距離を示すキロポストについては、北宇和島側起点で立っており、同駅構内には予土線の起点を示すゼロキロポストが立っている
。
これは元々予土線が、宇和島起点(=宇和島側が上り方)の「宇和島線」として営業していたためで、窪川側の路線は昭和後期になって開通した新しい区間であり、宇和島〜窪川間が全通したときに、窪川側が上り方になるように改められたことに起因する。
なのでこの予土線、運転上の「上り下り」と、キロポスト上の「上り下り」が一致していない路線として珍しい。
列車を待っている間、駅の待合室でこんなモノを見つけた。
枕木を売っているらしい
(^^;
価格は1本3千円らしいが、大量購入の場合は割引もあるらしい
(笑)
やがて、予土線の窪川側からトロッコ列車が到着
。
四国におけるトロッコ列車の元祖であるこの列車は、予讃線や土讃線で走っているトロッコ列車とは異なり、トロッコ車輌は貨車を改造した車輌であることから運転台が無いため、常に気動車に牽引される形で列車の後ろにぶら下がっている
。
さて北宇和島からは、予土線の窪川行き普通列車に乗車。
高知運転所に所属するキハ54形の3号車で、これも逆順目車番。
蛇足だが、四国には昔、キハ65−43という逆順目車も存在していた(だから何?(^^;)。
予土線の西側半分は線路規格が低く、急カーブも多くて最高速度は65km/h止まり。
駅間も短いため、宇和島から江川崎まで35kmを走るのに1時間4分もかかる。
北宇和島発車時点での乗客は30人ほど。学校帰りの高校生が多かった、、、、って、この日は日曜なんだが(^^;
窪川方面へ進むに従って乗客は少しずつ減っていき、予土線内でもっとも乗降客の多い近永を出ると17人、最近駅舎を改築して公共入浴施設が併設された松丸を発車した時点では10人になった。
途中、江川崎ではトイレ休憩のため5分停車
。ここでの乗降はなかったが、この時点で乗客数はわずか5人。
江川崎からは線路は新しくなり、列車の速度も上がり、窪川までの47kmを53分で走りきる。
山中の川奥信号所で土佐くろしお鉄道線と合流。
ここから若井駅までの約4キロは、JR予土線と土佐くろしお鉄道線の二重戸籍区間となる。
列車は2分程度遅れて窪川に到着。結局江川崎から窪川まで、乗客の乗降は全くなかった
なお、窪川とその一つ手前と若井との間はJR線ではなく土佐くろしお鉄道線となるため、「青春18切符」などの一部の企画切符では乗車できないため、別途運賃が必要である旨、運転士の肉声により案内があった。
ちなみにこの日利用した「週末乗り放題きっぷ」ではこの区間もフリー区間に入るので大丈夫(このページトップの画像参照)。
窪川からは高松行きの特急「しまんと10号」に乗車。
40分程度時間があるため、ここで夕食を仕入れることにした。
・・・・のだが、窪川駅周辺にはほとんど店が無く、徒歩5分ぐらいのところにある商店でやっとパンやドリンクを仕入れることができた。
戻ってくる途中で、既に廃止されてしまったJRバス窪川線の、窪川自動車営業所の銘板を見つけたので撮影
。
「しまんと10号」と川奥信号所で離合する、宿毛行きの「南風13号」が10分遅れで到着。これにより「しまんと10号」も10分程度遅れるとの案内があった。
「南風13号」は所定3両編成のところ、例によって1両増結して4両編成だったが、禁煙自由席車は窪川発車時点でも立ち客がいるほどであった。
「しまんと10号」は約10分遅れで到着。
こちらも所定3両のところ、中間車を1両増結した4両編成だった。
乗務員が土佐くろしお鉄道からJR四国に交代し、10分遅れで窪川を発車。
3号車の13番A席に陣取って高知を目指す。
3号車の乗客はほんの10人程度で、増結している割には少ない印象だが、これはこの日の帰省の流れと逆方向だったためであろうと思われる。
それに、この列車は土讃線上り方面に向かう最終の特急列車(定期列車)なのだ。
JR四国内の駅の駅名板は、ほとんど全てがコーポレートカラーであるスカイブルーを使った新しいタイプになっているが、佐川駅には昔ながらの駅名板が残っている
。
駅名板関連で、国鉄時代はその駅のある自治体の名前が必ず記載されていたものだが、現在JR各旅客会社の中で自治体名称を表記するのを基本としているのはJR四国とJR東海のみで、他の4社は基本的に自治体名称の記載が無いが、JR九州は表記があったり無かったりしてややまとまりがない。
JR各社の「標準的な」駅名板の例
自治体名の記載無し
JR北海道の例 | JR東日本の例 |

小樽築港駅 |

トマム駅 |

新札幌駅 |

青森駅 |

直江津駅 |
JR西日本の例 | JR九州の例 |

敦賀駅 |

神戸駅 |

金沢駅 |

黒崎駅 |

日向市駅 |
|
自治体名の記載あり
JR東海の例 | JR四国の例 | JR九州の例 |

豊橋駅 |

津駅 |

高松駅 |

半家駅 |

肥前山口駅 |
|
さて、須崎では「あしずり7号」と交換。これも10分程度遅れていたため、須崎発車時点でやはり11分の遅延。
次の停車駅である佐川で9分、その次の伊野では7分と、どんどん遅れを回復。その次の朝倉では定刻なら4分停車するので一気に回復かと思ったら、対向普通列車の遅延待ちのため、駅手前で一時停止。
結局終着・高知には7分遅れで到着した。
「しまんと10号」は、所定ならこの高知で7分停車し、列車の前側に2両増結してから高松へ向けて出て行くのだが、この日はなんと増結編成を連結せずに、4両編成のまま3分程度の停車の後、3分遅れの21:04にさっさと発車していってしまった。
この時点で私には、どうやらその付属編成が、次に私が乗る予定になっている高松行き臨時特急「よさこい高松号」になるのではないか、、、だとすれば「よさこい高松号」は2両編成かな? と、容易に想像がついた。
その「よさこい高松号」になると思われる編成は、駅のすぐ横の留置側線で待機中であった
。
ヘッドマークは赤基調で、少々文字が読みづらい。
普段は単行ワンマン運転となる須崎行き普通列車4779Dも、さすがにこの日は増結していたが、それがなんとキハ32形の3両編成だったのには少々驚いた
。
「よさこい高松号」は、発車の15運ほど前になって4両編成で1番ホームに回送されてきた。
実は中村行きの臨時特急「よさこい中村号」とドッキングしたまま、さっきの留置線から回送されてきたわけで、1番ホームに到着後に両列車の切り離し作業が行われ、それが完了してから乗降ドアが開いた。
というわけで、「よさこい中村号」も撮影
。
さて上の画像を見ると、、、、そう、留置線で待機中に撮影したのとヘッドマークの色が全然違う(^^;
どう見ても光線状態の関係とかそういうのじゃなく、元々別物のように見えるのだが、皆さんはどう思われるかな?
そういえば、留置線待機中は側面のLEDの方向幕が、4両全て「特急 しまんと」「特急 高松行」を交互に表示していたのだが、ホームに入ってきたときには「臨時」表示に変わっていたので、転線作業中に表示を変えたのかもしれぬ。
ともかく、高松行き臨時特急「よさこい高松号」は、予想通り2000系気動車の2両編成で、1号車が指定席、2号車が禁煙自由席車だったので、2号車3番D席に陣取った。
発車時刻が近づくにつれて自由席車は混雑し、デッキまで満杯になった。
結局高知発車時点で、1号車は満席、2号車はざっと見た感じでは座席定員48人のところ、80人程度の乗客がいたようだ。
最初の停車駅である後免の1つ手前、土佐大津で対向列車待ちのため停車。
定刻なら2〜3分程度の停車であったと思われるが、対向の「南風21号」+「しまんと11号」が9分遅れで通過したため、こちらも9分程度の遅延となった。
後免では4名の降車があっただけ。
次の土佐山田では、たまたま自分の席の目の前が改札口だったのと、土佐山田駅はこの時間帯は無人になるために車掌が切符を集めに出てきたので、降車客の数を数えたところ、なんと70人程度が一気に下車。
これで2号車の乗客は10数名程度になってしまっただけでなく、遅れが11分に拡大した。
実は高知から土佐山田まではわずか15キロで、しかもこの列車の4分後に、土佐山田行きの各駅停車が高知を発車している(この列車が事実上の上り方面最終列車)はずなのだが、なぜ大挙して特急に乗ってきたのか、個人的には理解に苦しむ(^^;
ちなみに1号車の方は変わらず満席だったようだ。
土佐山田を出ると四国山地の山越え区間となり、列車は民家も少ない漆黒の闇の中を、高松目指して勾配を駆け上がってゆく。
次の停車駅・大杉では1名が下車。相変わらずの11分遅れ。
そこから2つ目の大田口で、下り特急「南風23号」と交換。これが下り方面行きの最終列車で、時刻は23:20。
蛇足だが、高知県内では午前0時を過ぎるとJR以外も含めて、営業列車(定期列車限定)が1本も走っていないのだ。
つまり全ての列車が日が変わる前にはもう営業をやめてしまうわけで、おそらく高知県(と沖縄県)以外では例が無いのではないかと思う。
大歩危は10分遅れの23:34に発車。
阿波池田でさらに数人の降車があり、2号車の乗客は残り7人となった。
ここでさらに1分回復し、遅延は8分となった。
列車は最後の山越えである猪ノ鼻峠を越える。
この峠越え区間でさらに2分回復し、結局6分遅れの0:14に琴平駅3番ホームに到着した。
1号車の方はJR主催の団体が乗車していたらしく、相変わらずほぼ満席のままで列車は琴平を発車。一方の2号車の乗客は残りわずか3名となった。
自宅に帰り着いたのは0時半であった。