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山城谷トンネルが1950年に開通するまで、土讃本線は川沿いの崖を走っていた。
現在も当時の線路跡が随所に残っている。
旧線は下り列車から見ると、駅を出てすぐに橋梁で若干勾配を登りながら左へそれるルートを辿っていた(本項一番下の画像参照)。
※2016年11月23日撮影 |
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眼下に住宅のある区間を抜けた先にある割堀。
※2018年12月13日撮影 |
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さらにしばらく進んで上り方を見たところ。
※2018年12月13日撮影 |
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そのあたりを国道32号線から見上げる。
このコンクリート擁壁は、後年の施工の可能性が高い。
また、画像左端に見える建物は廃線後に建てられた民家と思われる。
※2018年12月13日撮影 |
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さらに数100m進んだところ。
細い旧国道沿いに残る橋台と橋脚。
※2016年11月23日撮影 |
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橋台の奥では、トンネルが口を開けている。
ネットに掲載されている探索レポートによれば、奥は人為的に閉塞されている模様。
※2016年11月23日撮影 |
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さらに進んで、鮎戸瀬の鼻先を回り込んだ所にある橋台跡。
半分ほどは道路化されて失われている。
ちなみにこの道路をさらに真っ直ぐ進んだ突き当たりの民家の庭先に、トンネルの坑口が残っている(私有地内だったので撮影は遠慮させていただいた)。
※2018年12月13日撮影 |
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その向かい側にも路盤跡が続いている。
※2018年12月13日撮影 |
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山城谷トンネル出口付近の、国道32号線脇に残っている橋脚。
手前の1本と、右手奥の茂みの中にももう1本建っている。
※2016年11月23日撮影 |
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建設工事中の伊予川橋梁の様子。
このルートのすぐ左に沿う形で、現在国道32号線が通っている。
出展:新人物往来社刊・別冊歴史読本 鉄道古写真(57) |
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新旧両ルートの伊予川橋梁が並んだ状態で写っている、山城谷トンネル経由の新ルートが開通する前後と思われる画像。
出典:「国鉄史」 |