阿波川口駅 (土讃線)
駅番号:D25

住所徳島県三好市山城町大川持
開業日1935年11月28日
電略ワチ
標高127m
乗降客数 (1989年)530人
(1999年)350人
(2010年)73人(乗車人員
形態対面2面2線
主な設備




 旧山城町(現:三好市)の中心駅で、旧山城町役場の最寄り駅。
 駅舎は旧国道32号線沿いにあり、現在の国道32号線は駅の背後を通っている。

 国鉄時代〜JR初期の頃は当駅に停車する急行列車もあったが、現在は普通列車のみが停車する。

 駅前に四国交通のバス停がある。また、商工会が駅に隣接している。


 民営化後に建て替えられた現在の駅舎は、さらに観光列車「千年ものがたり」の運行開始に合わせてタヌキ駅舎にリニューアルされている。


 ホームは対面2面2線。
 一線スルー未対応で、通過列車は70km/hの速度制限を受ける。


 互い違いの跨線橋がある。
 昭和58年竣工の銘板が付いている。

 2番ホーム側は跨線橋を降りたところにささやかな待合所が設けられている。

 上り方場内。

 下り方場内。

 下り方のポイント脇に土讃線の55kmのキロポストが建っている。


 1番ホーム横にある貨物ホームの跡。
 貨物扱所跡は現在保線基地となっている。



 2番ホーム脇にある元の車止めと、保線用と思われる留置側線の跡。


 かつての構内通路の痕跡。

 駅名標。

 2番ホーム側の駅名票は、三縄駅のそれと同じようにホーム柵の外側に建っている。

 駅舎内の様子。

 1番ホーム側の屋根上に設置されている雨量計。


 観光列車運行前の頃の駅舎。


※2008年4月6日撮影


国鉄時代

 国鉄時代の駅名標。
 背後にはまだ真新しい車止め。


※1986年5月5日撮影

 当駅に停車中の「サヨナラDF50 秘境号」。
 後方を見ると、まだ跨線橋が無く、構内通路であるのが判る。


※1983年8月21日撮影



〜旧線跡〜

 山城谷トンネルが1950年に開通するまで、土讃本線は川沿いの崖を走っていた。
 現在も当時の線路跡が随所に残っている。

 旧線は下り列車から見ると、駅を出てすぐに橋梁で若干勾配を登りながら左へそれるルートを辿っていた(本項一番下の画像参照)。


※2016年11月23日撮影

 眼下に住宅のある区間を抜けた先にある割堀。


※2018年12月13日撮影


 さらにしばらく進んで上り方を見たところ。


※2018年12月13日撮影

 そのあたりを国道32号線から見上げる。

 このコンクリート擁壁は、後年の施工の可能性が高い。
 また、画像左端に見える建物は廃線後に建てられた民家と思われる。


※2018年12月13日撮影

 さらに数100m進んだところ。
 細い旧国道沿いに残る橋台と橋脚。


※2016年11月23日撮影

 橋台の奥では、トンネルが口を開けている。

 ネットに掲載されている探索レポートによれば、奥は人為的に閉塞されている模様。


※2016年11月23日撮影

 さらに進んで、鮎戸瀬の鼻先を回り込んだ所にある橋台跡。
 半分ほどは道路化されて失われている。

 ちなみにこの道路をさらに真っ直ぐ進んだ突き当たりの民家の庭先に、トンネルの坑口が残っている(私有地内だったので撮影は遠慮させていただいた)。


※2018年12月13日撮影

 その向かい側にも路盤跡が続いている。


※2018年12月13日撮影

 山城谷トンネル出口付近の、国道32号線脇に残っている橋脚。

 手前の1本と、右手奥の茂みの中にももう1本建っている。


※2016年11月23日撮影

 建設工事中の伊予川橋梁の様子。

 このルートのすぐ左に沿う形で、現在国道32号線が通っている。


出展:新人物往来社刊・別冊歴史読本 鉄道古写真(57)

 新旧両ルートの伊予川橋梁が並んだ状態で写っている、山城谷トンネル経由の新ルートが開通する前後と思われる画像。


出典:「国鉄史」





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